週末は伊勢で

叔母が死んだので週末は伊勢にいた。といっても夜はさらに南に2時間ほど下ったところにある田舎で寝たんだけれど。疲労困憊。久しぶりにいとこたちに会う。あと、おじさんとも。おばさんは癌で、リンパがやられて、体中に転移していたようだ。危ないので連絡しようと思ったらもう間に合わなかった。死を看取ったのは下の息子だけだったようだ。伊勢のおじさんおばさんには世話になったから、最近は義理を欠いて申し訳なかった。
いとこたちにはこどもがあわせて三人いて、一番上の子が小学校五年生だった。俺が最初に人が死ぬということを知ったのが、ひいじいさんが死んだときで、やはり小学校五年生だった。遺体が焼かれて骨になったとき、死ぬとはこういうことかと思った。おばさんが骨になってでてきたとき、その甥っ子も激しくショックをうけていた。やつはこれで母ひとり子ひとりになる。死んだおばあちゃんの看病のためにやつの母ちゃんは夜に働くことはなかった。けど、これからはきっと夜も働くようになる。死んでしまった以上、おばさんの年金もなくなる。けれど借金を返していかなければならない。しかしそれは病気になった瞬間にすべてが破綻する。残酷なまでに困難である。
これから俺が死にゆく人を送る番になった。もはや頼られる立場に立ったのを痛切に感じる。無頼を気取る文士という奴らが、昔から気に食わなかった。やっとわかった。無頼だろうが、なんだろうがけっきょくは文士だ。ボンの無頼。かっこいいなあ。だが無頼の文士の子供はしかし本を書いたり、大学に行ったり・・・。
家に帰ってテレビを見る。しゃらくさいことをいうやつばかり。成り上がり者の常としてメリトクラシーのもたらすある種の平等さを否定することはできないが(そこが俺の限界か)、しかし困難を見ずに(あるいはそこから遠いところで)人生を送ることのできる人のなんと幸福なことよ。だから頼むから幸せなボンやお嬢は公のメディアなんぞでわざわざの自己肯定的な発言などせずに、そっと黙って幸福をかみしめておいてほしい。けど、発言の機会が与えられるのはそういう(pretendu)勝ち組なのだよな。笛吹くと踊る人々・・・。