買った本

 『万葉集抜書』に続いて。しかし彼の本は現在入手しにくい。この本の隣には、くだらない「万葉集の謎」なる本。お願いだから(棚の圧迫になるから)配本しないでほしい。というかそれはしかし本屋の見識か。

 賢島にいったときに彼のおたく本を読んだので。読むに足るものではある。同世代が沈没してゆくなかで相対的に浮いてきたのは、おたくという特殊性にもとづく足場があるからか。
 少しだけコメント。消費する「主体」ないし「自己』なるものが可能なのかどうか、という根本的な問題(やはり消費は自己を解体し全体なるものに回収する方向性が強いのでは?)。
 出産についての問題提起は、(うまい言葉が見つからないが)あまりにも厳しい。競争と自己実現だけが人生ではないだろうに。この言葉遣いは少し違うな・・・。私語りと公ないしは社会的なものとが混同されているという気がする・・・。
 何かから(例えば一時的に)降りる、ということは当然ながら誰にとっても許されたことであるし、問題を抱えたまま死ぬこともまた可。
 やはり大澤さん同様の成功した者に固有の盲点を感じる。成功者というよりは、昔ながらの階級と言うべきか。大塚自身は「特権」という言葉を用いているが・・・。私的なことがらが、よくも悪くも公的ななにものかとして言説化される人びと。

 自己実現というみごとに私的な問題とその齟齬を公的に語る。誰がそれを聞くのか、誰にそれを語るのか。「成熟と喪失」をめぐる議論にあらわれているのでは? 上野さん(キャリア主義つまりは近代という時代の化身)のエピソードも同様に。
 国家は自然ではない。自然とは、おそらく・・・
 それはしかしたしかに転向といえば転向なのだろうが、
 端的にしかしそれは託児所であり、育児給付であり、長期産休の問題であって、私語りの疑似哲学ではない、のではないか。それらがすべて実現された後にしかし、こういった疑似哲学的問題が残るにせよ、それを語(りう)るのが哲学や社会学なのかどうか。
 ローマに戻ろう。ローマに。(しかし大塚の分析は全体として正しい。学生に読んでほしい本ではある。)

  • 同『少女たちのかわいい天皇』角川文庫,2003
  • 同『サブカルチャー反戦論』角川文庫,2003
  • 同『定本 物語消費論』角川文庫,2001