GOOD JOB!

yeuxqui2005-02-15

いただいた本

が届く。
もちろん全部はまだ読んでないけれど、ざっと見るところ、ちょこまかしていない、骨太のいい仕事だ。こころ洗われるよ。ゆっくり読むことにしよう。

しらんかった!

ゴンチチってボサノバやったんや! ああ!
http://sociologbook.net/log/200502.html#eid17

ボサノババンド第二次岸内閣

「ライブハウスは今日もまんいん。にちゃんねるやブログのコメント欄に書き込むウヨがなにをいおうと、声なき声は第二次岸内閣を支持している」と戯れに書いたけれど、ちょっと考えてみる価値があるような気がしてきた。昨日のブログのローカルかどうか、ということとも若干関係があるような気もする。

一部の若者はたしかにいつも大文字の「政治」が好きだ(若者の範囲としては、昔よりも多少年齢の上限はあげてもいいだろう)。どこかエキセントリックで、落ち着きがない。攻撃的でどこかvulnerableだ。ずいぶん前に石原は美濃部の子供だって書いたけれど、彼らは全共闘の子供なのだろうか。

理屈っぽくてけれどその理屈の立て方は彼ら(彼女らの)の嫌いな上野千鶴子にじつによく似ていて(あるいは読んだことはないけれど橋爪なんとかとかのかつてのソシオロゴスの理屈っぽさlogical nonsenseとよく似ているのだろうか)、ああいうメディア・スターたちの鏡に映った姿なのかもしれない。何か誤解された構築主義。正しそうに見えても実験や観測と背反すると却下というきびしさとは無縁の、正しいことが真理である、よい子たちの王国(真理と正義は学級会で決まる?)。

いっぽうで歴史的視点のもつ相対化の作用が不可避的にまとってしまうある種のペシミズムあるいはシニズムとも異なった態度(せいぜい2〜300年程度の歴史しか有さない国家という装置への過度の執着。)。若者にとって歴史は固着の対象としてはふさわしくない。いまここでの即座の変更、つまり革命の個人主義にはたしかに歴史はふさわしいものではない。

ローカルかメディア的か。という対立なのか。私的、公的という対立なのか。たしかにメディア〜パブリックな世界へのヒステリックな執着は、どこかで私的〜ローカルなものをないがしろにしないと成立しないような気もする。
どこかで左右が立場を交換してしまっている、ということなのだが。
なにを反復しているのだろう。

私生活ときちんとかかわる仕方で、しかし私生活ときちんと線を引きながら公的な問題を確定し「政治」にかかわってゆくこと。

アレントは好きでない。繊細さを欠いている。

SOPを

寝かそうとすると、なぜかこっちが眠くなる。あと最近おむつをとるをいなや、ちんぽとたまたを、もそもーそとするSOPなのだが、必ず左手だということに気がついた。左利きなのだろうか。

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あとうのちんがこっそりおもしろいことを書いている(id:Shigeki)。