頂き物。アナーキー・イン・ザ・JP

共著者の森直人さんから御恵投いただきました。

教育システムと社会―その理論的検討

教育システムと社会―その理論的検討

ありがとうございます。
いまはまだその余裕はないのですが、おそらくは『福祉国家と教育』に続いて、教育の「福祉」つまり「統治」(つまりは行政という意味での政治)に関わる側面が、やはり検討の対象になっているのであろうとパラパラとページをめくりながら、そのような印象を持ちました。全体としては問題提起に続いて、短めの議論提示とコメント。そしてシンポ形式の議論という、研究会をそのまま採録したような臨場感のある書物になっています。第三報告では、『「公共性」論』批判があったら、その直後にそのまま「稲葉」なるひとの介入があったりして、この「稲葉」って、あの「稲葉」さんだろうが、巻末の著者一覧のなかに名前がないぞ、臨場感にもほどがあるだろうとか思いながら笑ってしまいました。

 そして冒頭から前回澤田さんにいただいた本の感想で触れたような、職業と教育との関係が真正面から問題にされ、ハマちゃんテーゼにたいする異論が提示されるなど、かなりポレミックなものになっています。
教育学は、文学を母胎に教科教育など師範系、そして行政学、経済など一部のディシプリンの科目が加わってスタートしたという経緯から、よくいえば幕の内的かつ「教養」的であって、それゆえに自己完結しやすい傾向があると、いわゆる師範系の大学のなかにいて思ったりもしておりました。
そこにもってきて、これまでの教育学が教育ー雇用ー福祉という(おそらくは世界的にはむしろその職業教育的な傾きから自明視されてきたのではないかとおもうのですが)連関を等閑視してきたという反省から、冒頭から編者のひとりである広田照幸によって「教育学の自閉性」や「教育社会学の薄っぺらさ」が見出しに上げられるなどなかなか刺激的です。

第一部がそのまま「教育と雇用・福祉」とあり報告が濱口桂一郎・児玉成郎、山口毅。コメントが広田・本田伊克、金子良事。
森さんの書いている第二部は、教育と職業・政治と題されており、卯月由佳・仁平典宏・宮寺晃夫の報告に、本田・森直人のコメント。ここではいわゆる「公教育」が正面から問題にされていますが、森さんのコメントで言及されている、「わくフリ」という実践はとても興味深い。これはかつてフランスで、未就業や長期失業状態にある若者を中心とした人びと(日本でざっくりとニートとして紹介されたような、福祉国家の変容と共にその枠組みをすり抜けてしまった人びと)にたいしておこなわれたRMI(エレミー、参入支援最低所得)と呼ばれた実践を奇妙に思い起こさせるものだったからです。
報告者の森自身によってもその「意味」はまだ展開されていない(つかみかねている?)、ぼく自身も、とても面白い、これはすごいと思いながらも、やにわになんとも「評価」しがたいこの実践がどのようなものかは、実際によんでもらうしかないのだけれど、たしかにやはり(現場は?社会は?学校は?)まだ、創意工夫に満ちていると思わされるものではありました。逸脱なのか、創造なのか、あるいは著者が言うように「反転」なのか、しかしウンザリするあの(上からの)「改革」とは違うなにかがありそうだ、つねに定義の変更に至る事件は発生し続けているのかもしれないなと思わされるものではありました。

第三部「社会の論理と教育論理」でも、比較的規範的な話ではあるのですが、しかしあくまで今日的な倫理学との関係のなかで、つまりphilosphie morale et politique とmoraleとpolitiqueがet でつながれていたいた時代の問題関心のもとで「哲学」的な議論が援用されていますし(高宮正貴・山口毅/堤孝晃に塩崎美穂・下司晶)、第四部はあるいは若手が中心なのでしょうか、フーコーポストモダニズム、さらにロールズ、やセン以降の今風の倫理学風のもの、そして熟議民主主などを主題とした比較的独立した「投稿論文」(それぞれ神代健彦・下司・保田幸子・平井悠介)なるものが掲載されています。しかも最後に広田照幸氏によるランシエールについての投稿論文があったりして、編者が投稿とはなかなかアナーキーだなと感心しました。

なんか紹介めいたこと書いてますが、現状ではとても腰を据えて読むようなことはできないので、なんか見当違いのことを書いてるかもしれませんが、なんか引っかかるところがあるので、そのうちちゃんと読むと思います。

ありがとうございました。