岸里〜天神ノ森

林芙美子『めし』は小説というよりもむしろの映画のほうが有名かもしれない。未完ということもあるが、小説としてはそれほど面白いものでもないからだ。あらすじだけを言うと身も蓋もない。つてを頼りに仕事を求め東京から大阪にやってきた(というよりも都落ちというべきか)夫婦が、結婚当初の熱狂が醒めると互いに相手に飽きてしまい、妻のほうが東京が恋しくなって帰ってしまうという小説だ(正確にはそこで小説は中断している)。そういうわけで描かれる大阪は、新世界やらジャンジャン横町やらと見事に観光地としての大阪に終始しており、サラリーマンと専業主婦のふたりが住む天神ノ森(天下茶屋、とも書かれる)の風景はおざりにしか描かれず、ひどく希薄な書き割りめいた印象しか残さない。

夫婦が住んでいる天神ノ森はかならずしも貧しい地域というわけではないが、小説ではそのあたりが曖昧になっている。

 同じような家が、路地の両側に、並んでいる。どっちの家並みも、屋根つづき。火事になったらあぶない家の構えだが、ここは、戦災にものがれている。
 はじめは、東京風な、貧しい長屋の感じに、受取っていたが、来てみると、如何にも、大阪らしい、長屋建築である。
 どの家にも、ヒバの垣根があり、背のひくい、石門がある。二階には、物干しがあり、今日は天気がいいので、洗濯物や、布団が、どの家にも干してあった。
 路地の出口の、吉田さんの壁に、円満階という、板の看板が出してあった。
 両側合わせて、十二軒の、長屋の住人の表札が、一目で判るように、出してあるのだ。一番下の隅に、岡本初之輔の文字が見える。
 この路地のなかは、昼間は、森閑としていた。鈴をつけた猫が、路地のなかを、ゆっくり歩いている。

 林芙美子のこの小説からふたりが住んでいた天神ノ森についての数少ない記述がこの部分である。むろん新聞小説という制約もあるのだろうが、それにしても物語の舞台は「大阪」であって、天神ノ森でも岸里でもない。成瀬己喜男の映画で強い印象を残す「路地」の光景はいわば映画のオリジナルである。いや、おそらくは林芙美子にとっての小説はそのようなものでしかなったということだろう。この小説のなかで「大阪」は東京ではないどこかの記号にすぎない。
だが映像は良くも悪くも背景を必要とする。どのような服を着て、どのような場所に住んで、どのような振る舞いを身につけているのか、そうした描写は避けることができない(主人公たちの顔つきが、あまりに場違いに美男美女なのは、まあ仕方ない)。
成瀬の映画では主人公たちの住む家は、その向かいに連なっている大阪の(こう言ってよければ)庶民たちの住む棟と比べると、同じ長屋とはいえ一段高級なものとして描かれている。木戸と小さな庭のついた、標準語を喋る主人公たちの家とは異なり、近所に住むいくらか奇妙な大阪弁を操る人びとの家は、いまでも大阪のあちこちで見ることができる道路に玄関が直接面した細長い長屋である。おそらくは昭和初期に建てられた、当時としてはいくらかハイカラだったはずの長屋だ。ただ戦争を経過し、すでに10年かそれ以上の月日が流れていたからには、それらの家々がいささかみすぼらしく感じられるようにもなっていたはずだ。そうであれば、かつての若夫婦の子供たちも成長し、アロハのつもり、としか言いようのない開襟シャツを着て、ドッジ・ラインによる緊縮財政のあおりを受け、職に就けないまま無為をかこつ若者に成長している。
大阪弁を操る者たちは、おそらくは大学と(ひょっとすると高等)女学校を出たインテリの主人公たちとは違って、せいぜいが前期中等教育を終えただけであろうことが会話のなかで示される。映画ではこのふたつの「人種」が、標準語と大阪弁、洋服と和服、あるいは仕立てのよい洋服とサイズの合わないシャツ、さらには庭のある家とない家というかたちでふたつの世界の混交がはっきりと描かれる(だが、天神ノ森では一貫して洋服だった原節子は東京では和服に着替えることは付け加えておく必要があるだろう。大根をもって知られた原節子だが大阪と東京では表情を変えている)。

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ところで、その長屋に住んでいた年配の人びとは、いったいどの方言を話していたのだろうか。どこで生まれこの長屋に住み着くことになったのだろう。林芙美子はじぶんがそうであったように、多くの人も放浪の末にこの地にたどり着いたかもしれない、大阪弁ではない別の言葉を話す人びとだったかもしれない、そういう想像力を持っていただろうか。あるいは彼女にとってそれは後に残してゆく過去の一部でしかなかったのだろうか。