阪堺線

しばらく続けていた仕事がすこし落ち着いたので、電車に乗って天下茶屋で下りる。夏休みになれば手術を受けねばならないから、しばらくはこうやって歩くこともできないという理由もある。廃校になった前の職場に勤めていたとき、今時は珍しくなった路面電車の駅の近くに住んでいた。アーケード商店街と小さな神社がある町だった。すでに多くの店にはシャッターがおり、この商店街と神社は立派な中央分離帯のついた道路で遮られていた。バスレーンも含めれば六車線という立派な道路だった。
研究会などで京都に行くときはこの路面電車に乗って終点の恵美須町で下りることもあれば、天下茶屋で下りてそこから阪急と乗り入れしている堺筋線に乗ったり、南海の高野線に乗って難波に出たりした。南大阪の煉瓦造りの古い工場を通り過ぎ大和川を渡ると、電車は我孫子道を越え、住之江、安立町、住吉そして粉浜といったかつての海岸線を思い出させる地名を通り過ぎてゆく。
この路面電車は大阪南部のかつての高級住宅街ともっとも貧しい地域の両方をつないでいる。ただしそれはひとつの同じ路線ではない。岸里玉出、聖天坂を通る路線は、北天下茶屋から松田町、今船、今池といったやはり水にまつわる地名を通過し、荻之茶屋そして動物園のある新今宮、そして恵美須町へと向かう。それとは別の路線は住吉から分かれて神ノ木帝塚山姫松、北畠、松虫といった大正から昭和にかけて中産階級そしてブルジョアたちが土地を買って住んだ土地をゆっくりと通りすぎてゆく。天下茶屋という名前はその両方の路線にあらわれる。ぼくがよく下りたのは北天下茶屋であり、この駅は西成と阿倍野というふたつの地域の阿倍野から西成に入ってすぐのあたり、どちらかといえばより庶民的で小さな商店街のアーケードがちょうどとぎれたところにある。