アリンスキー・ノート6

郊外の行方

田園と農園の入り口近くに工場と作業場を設置し、そこで働くことにしよう。むろん大規模なものではあってはならない。そうした大工場では大規模な機械設備が必要になろうが、それは自然条件によって決定される特定の地域に置かれるべきであろう。むしろ作業場や小工場の設置は、人びとが文明化される結果、無限に多様化してゆく趣味嗜好を満足させるために求められることになる。工場の地獄のような環境に置かれた子供たちがその子供らしい外観を失ってしまうような大工場ではなく、風通しよく衛生的な小工場であれば、結果的に経済的でもあって、機械ではなく人間らしい生活がいっそう考慮され、いっそうの利益をもたらすことになる。そのうえ、こうした実例は、すでにあちこちに存在している。小工場と作業場では、男も、女も、子供も、飢えに駆り立てられるのではなく、自分たちにとって相応しいのは、どのような活動かを知りたいという欲求に引き寄せられて働き、また動力と機械の手を借りて、自分自身の素質にもっとも適した種類の活動を選ぶことになる。
クロポトキン『田園・工場・アトリエ』(1899)

戦前におけるアリンスキーらのコミュニティ・デヴェロップメントの試みは、一定の成功を見たと言ってもよい。だがアリンスキーらの試みは、コミュニティの活力とまとまりの維持という理想に高い忠誠心を発揮する人びと、そうした人びとの存在を暗黙のうちに前提としていた。19世紀の末から20世紀の初頭にかけて、シカゴをはじめとしたアメリカの工業都市で、アリンスキーらの活動が必要なものとされたのは、すでにみたように都市中心部(インナー・シティ)のスラム化を押しとどめるためである。
じっさいこの時期シカゴも急激な人口増加を見せる。アメリカにおよそ半世紀先行するかたちで、すでにヨーロッパは同じような状況を経験していた。 ポーペリズムと呼ばれる、不安定な立場に置かれた未熟練労働者をその中核とする、大都市における大量の貧民の発生である。ときに問題の深刻さが過大評価される傾向にあったヨーロッパのそれと比べ、この時期発生したアメリカの都市問題は、その発展の急激さ、また移民によって成立した国家であるだけに、人種、言語、文化面で多様性がいっそう直接的に経験されることになり、ある意味ではヨーロッパ以上に深刻な問題を惹起したともいえる。戦前におけるアメリカの都市問題は、ある側面から見れば、ヨーロッパがポーペリズム、つまりのちに階級問題として展開してゆく問題を人種問題として経験することになったのだともいえるであろう。
ヨーロッパにおいて、19世紀のポーペリズムがそれ以前の貧困問題と決定的に異なるとされた点がここにある。物理的な貧困に加え、モラル、すなわち精神および道徳の退廃がそこに伴われている点がとりわけ深刻な問題とされていたのだ。過度の飲酒、売春を通じた性病、貧困からくる病、さらには狂気(精神疾患)およびその結果でもあとされた猟奇的、暴力的な犯罪。これらがとりわけ都市という場所に集中して発生することがその特徴であるとされていたのだ。
アリンスキーの『ラディカルよ目覚めよ』のなかで描き出されているシカゴのインナー・シティの問題は、すでに述べたように、まず工業文明におけるアノミー(社会関係の分断)の問題として理解され、さらには人間集団の物理的な解体だけではなく、道徳および精神の解体(デモラリゼーション)と受け止められている。都市暴動が革命につながることはなかったという点を除くと、アリンスキーが述べるシカゴの都市問題とは、ヨーロッパにおけるポーペリズムとなんら変わるところはない。そしてヨーロッパであれ、アメリカであれ、郊外都市の建設、都市の貧困にたいする建築レベルでの解決策の提案なのである。大工場の都市への集中が、犯罪と貧困と非衛生的な環境が、心身の病をもたらすのであれば、田園への中規模あるいは小規模な産業の展開は、これらを物理的に根絶するはずである。こうしたアイデアの最も早いもののひとつが、アナキストとして知られるクロポトキンの提案である。さらに彼のアイデアをじっさいに都市計画に応用したのが、エベネザー・ハワードによる田園都市計画であり、とりわけアメリカ(そして日本、とくに関西)において、鉄道で結ばれた郊外への都市の拡大というかたちを取ることになる。じっさい、アプトン・シンクレアの『ジャングル』においても、そこで社会主義という名前で名指されているのは、クロポトキン的なアナキズムであるというべきであり、事実、田園における科学的農業と中規模工業の結合という彼の理論が、都市問題の解決策として導入されているだけではなく、クロポトキンその人の名前が直接に引用すらされているのである。
こうしたクロポトキン=ハワード的な計画を可能にするのが交通機関、とりわけ戦前においては鉄道の、そして戦後においては高速道路の発展である。さらには中央政府による介入よりも、個人の自発性に発する下からの組織化を好ましいとする姿勢も、アングロサクソン的であると同時に、クロポトキン的なアナキズムのもっとも重要な姿勢を受け継いでいると言うべきだろう。そしてそれは(あるいはシンクレアを経てなのだろうか)アリンスキーにも流れ込んでいる。しかし、われわれはここに歴史の皮肉を見るほかない。つまりこの郊外化こそが、コミュニティのリーダとなるはずであった、比較的高い教育を受けた、中間層のインナー・シティから流出を促すことになるからであり、それこそがアリンスキーが戦後に直面する困難だからである。