アリンスキーノート2

膨張する都市

世界中の豚肉はこの屠殺屋が手を下した
機械を組み立て、小麦を積み上げ
鉄道を乗り継いで、国中の貨物を引き寄せる
嵐のように、荒々しくも騒々しい
肩をそびやかすこの町

カール・サンドバーグ『シカゴ詩集』1918

近代の、とりわけ工業都市の特徴は、前近代の都市とはもはや比較のしようもないほどの巨大な人口を抱えているという点、そしのその膨張の急激さである。われわれはこの急激かつ巨大な人口膨張をもたらした人びとを、国籍にしたがって、移民あるいは出稼ぎ、状況さまざまな言葉で呼んでいるが、都市への流入民という一点に着目するならば、こうした区分はさほど重要なものではない。とくに多民族国家であるアメリカにおいてはそうであり、なによりアメリカ合衆国という国家自身が、このような流入民によってできた国家である以上、アメリカの歴史はこうした人口膨張の歴史であると言ってもよい。
じっさいシカゴという都市の成り立ちをみるならば、1800年代半ばここにはおよそ5000人を下回る人口しか住んでいなかった。それが10年ごとにおよそ倍になるという急激な膨張の結果、半世紀後の1900年にはなんと170万人にまでその人口は増大している。この膨張はとどまるところを知らない。10年後にあっさりと200万人を突破し、218万人に到達すると、1920年には270万人、30年には337万人とさらに30年でその人口を倍増させてしまう。なんという異常な膨張であろうか。いったいそこで何が起きていたのであろうか。
一面から見ればそこにあるのは途方もないエネルギーであり、成長の活力である。上で引用したサンドバーグのこの有名な詩は、そうした若き都市のエネルギーに満ちあふれた姿を生き生きと写し出している。だがこの活力は同時に、都市の無秩序の現れでもある。無秩序と言っては言い過ぎであろうか。すくなくとも意欲ある若者がつねにそうであるように、この都市も統御しがたいその活力をもてあましている。映画の舞台となるシカゴは、しばしばこうした過剰なエネルギーがもたらす、歓楽と犯罪の街として描かれる。映画、『シカゴ』(2002年)はいうまでもなく、『アンタッチャブル』(1987年)はイタリア系マフィアの伝説的な大立者、アル・カポネとの対決がその主題である。あるいは映像は、事実を誇張して描き出してしまうかもしれない。そうであればアプトン・シンクレアの小説、『ザ・ジャングル』(1906年)が描いている都市の姿を見てみよう。
シカゴの穀物取引所は、現在、先物取引を介して、ニューヨークの証券取引所と並び、世界の金融センターの一角を占めている。ここシカゴに穀物取引所があるのは、もともとこの町が、中西部の物資の集積地でもあった名残である。鉄道で運ばれた小麦はこのシカゴを起点に東岸の大都市へと運ばれていった。シンクレアのこの小説は、中西部のもう一つの産業、畜産業の産品、いわゆるカウ・ボーイたちが育てた肉牛の集積地であった、ストック・ヤードと呼ばれる場所を舞台としている。シカゴは食肉産業の一大拠点でもあった。ここに運ばれた牛は、ここで解体され、加工されたあと、ふたたび各地へと運ばれていった。シンクレアの小説はこの食肉解体場そして肉詰め工場(パッキン・ハウス)を舞台としている。この小説は、シカゴの食肉産業の、非衛生的かつ非人道的な労働環境を告発し、全米に衝撃を与える。食肉検査法と純正食品医薬品法が議会を通過するのはこの小説の発表の半年後であり、この小説に描き出された工場の姿にショックを受けた大統領セオドア・ルーズヴェルトが派遣した連邦調査官が、「鼠もパンも肉も一緒くたに精肉機の受け口に入ってしまう」という彼が描き出した精肉工場の姿が真実であることが確認されたからである。だがあれほどまでに全米を揺るがせ、ついには大統領までをも動かしたにもかかわらず、シンクレア自身にとっては、この成り行きは必ずしも満足のゆくものではなかった。シンクレアはあくまで労働問題としてこの小説を描き出したからある。劣悪な環境に置かれた労働者たちの待遇改善なしには、そしてその地位向上なしには国民の健康すら維持されないという社会改良の訴えは、結果的に食品産業の衛生問題へと(彼にとってみれば)矮小化されてしまった。「心を撃つつもりが胃袋を撃ってしまった」とそう彼は述懐するだろう。