夜の

一時を過ぎて、ふとテレビでニュースを見ると、郵政の社長に再任された銀行屋のおっちゃんが、仕立てのいいスーツを着て、カイカクに邁進とか言っていた。ひさしぶりにカイカクという単語を聞いたなあと思った。関西はまあ地方なのでまだ生き残っているのはしかたがないにせよ、全国ネットでこの言葉がまだ生きているのは、なかなか息が長いbuzzwordだとちょっと感心した(まあしかしかつての駿馬もあれだが、しかしこの国のコンサル地獄はいつまで続くんだろう。まだおれたちに付き合う体力はあるのか。)。
まあこのひと(たち)は要するにアジア的なクローニー・キャピタリズムの嫌疑をかけられていたんだろうと思うわけだが、後ろで支えていた連中が小泉始め、二世・三世議員だったわけだから、どうしたって、色眼鏡で見られるのは仕方がねえだろうと思う。一時政府審議会なんかはもうひどいことになっていたわけだし。上野千鶴子堤康次郎の息子との対談では、そういうところを突っ込んで欲しかったな。
しかし実力があれば、二世でも三世でも結構だという議論をするようなひともおるが、野球の日本代表のクリーン・アップが、三番・野村カツノリ、四番・長島カズシゲ、五番・落合フクシだったりした瞬間があるのだということだ。ほんで女性監督(王リエ)は是か非かという、その前に何かもっと別に真剣に考えるべきことはあるだろうという謎の議論でマスコミだけが盛り上がっているような状況だったわけだよ。

もちろんおれの同級生の誰一人として、あんなに速い球をなげていたAも、六大学にまで行って試合に出るほどすごかったBも、プロ野球選手にはならなかったわけだから、三番も四番も五番もさぞかしすごいプレーヤーだったんだろうとは思うが。思うが、だって、しかし。ようするにその程度にすごいのはごろごろいて、さらにもっととんでもなくすごいのとか、もっと賢明さを兼ね備えたのとか、もっと努力できるやつがいるわけだろう。で、それくらいでないとつとまらんわけだ。普通は。

よくもまあ政治に限ってそんなクリーン・アップでも大丈夫なのだと安心できる度胸はしかし買うにせよ、(日本的な意味での)保守ってなんか安心だったんじゃないの?と思うからいったい誰が何を受け継いで、どんな相続しているのかさっぱり分からない。
そういう意味では小ブッシュのあとがオバマか、マケインだったというのは、まあずいぶんとまともだと思うよ。マケインぐらいのボンボンならぜんぜんOKだよ。このさいサルコだって・・・・ゲフンゲフン。
たしかに五番はどれくらい打つのだという好奇心があることは否定しがたいが、それにしたって、このあいだのワールド・ベースボール・クラシックの四番にそろそろいい年齢だしという理由で落合の息子を据えるのは、監督が故関根さんであっても二の足を踏むだろう。ヨバン・オチアイとアナウンスされたところで、なんか頼りになりそうな気がするのは、気のせいに決まってるわけだよ。面白いと言えば面白いが、もうそれは野球の面白さではない。たとえ現監督が才能はおれよりもウエだと太鼓判を押したとしてもだ。世界は内輪受けでは笑ってくれないと思うんだが、まあ世界のことはよく分からないので、受けてると言われるとまあそうなのかと納得するしかないが、しかしその場合、受けてるからといって大丈夫なのかという話だな。

しかし二世・三世議員というのは、これは北朝鮮と同じで、カイカクどころか、家臣が殿様の次男か三男かで揉めるのがせいぜいなわけだから、ある意味、廃藩置県の前に逆戻りしているわけで、そんな連中が司馬遼太郎読んで、維新がどうだとか、坂の上の雲とかいってるんだからしかしまったく意味が分からない。なにをどう維新をしたいのかしたくないのかまったく分かりません。けっきょくその維新とは、製鉄所や丸の内の土地の払い下げですか、という気にもなろうかというものだ。パチッと線を引くところは線を引いてください。