それにしても
書物をひとつの素材として読む訓練をこのかん続けてきたわけだけれど、しかしそれにしても、ある痛みを感じずに読むことは難しいことは告白せざるをえない。
- 作者: トニー・ジャット,森本醇
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 2008/03/20
- メディア: 単行本
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しかしここで語られる急速な産業構造の転換、そしてその帰結としての社会生活の変化について、ユーラシア大陸の両端では、あるレベルでは、そしてある時期までは、まるで双子のように(似ていない双子のように?)同じ経験をしてきたのだという印象は深まる。むろん日米安保条約がヨーロッパにおける北大西洋条約を、そのいくつかの条項はほとんど和訳といって差し支えないほどには、モデルにして導入されたものである以上、当然ある程度は同じ経験の見かけを取ることはほとんど必然ではあるのだが。
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むろんそこには置かれた環境の違いや、あるいは見えていると信じていたことと、実際にそうであったことのあいだの相違や、それに由来する誤解などが存在しているはずであることもまた言うまでもないのであるが。
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いつかわれわれはアジアについて、同じような規模のパノラマを描くことはできるだろうか。
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しかしこの書物を読み、また派生してあれこれの書物を読むと、後期の授業の準備そのものになってしまう。得心のいかぬことがあるならば、別の歴史を語るしかないのであるから、やはりこの書物が与えてくれる痛みは、ひとつの課題であると考えるべきだろう。
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たしかにこれまで多くを教えてくれたのは、つねに意に染まぬ読書からではあった。痛みはこのときぎりぎりの能動性を担保するものかもしれない。
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仕事読みをしているので、鑑賞しながら読んでいるわけではないのだが、しかしJudtの物書きとしての腕はなかなかのもの。(そういう意味では、いわゆる歴史書というよりは、たとえばアレントの『全体主義の起源』などと比較されるような書物かもしれない)。