mayakov

とSOPが実家に帰っているのでこの数日ひとりで夕飯を食っている。ひとりになるとこの機会にと根を詰めすぎてしまう。ひとりになると大学院生の頃を思い出してついつい夜更かしをしてやってしまうが、さすがにその頃とは体力が違うせいか、無理をすると翌日に響く。たしかにひとりであれば仕事はできるが、しかし早死にしてしまうだろうなと思う。今日もついついやり過ぎてしまって、目が回って心臓がどきどきしてきたので、適当に切り上げて飯を食いに行く。スタバにでも寄ろうかと某巨大ショッピングセンターに。スタバですこし翻訳を続けるつもりだったのだが、肝心の本を忘れてしまったので、作業はできなくなってしまった。しょうがないのでそうだうのちんが言っていた磯崎の本はあるだろうかと、紀伊国屋に寄るとあったので買うことに。それから飯を何にしようと考えて、フード・コートに行くことにする。こういうショッピングセンターにありがちな壁面にずらりとカウンターが並んで、まんなかに学生食堂のようにテーブルと椅子が置いてあって、トレーに皿を乗せて、めいめいが好きなところでたべるという、ビュッフェ形式の食堂だ。
きしさいとうがこっちにいるときはなんどか、みんなでここで食ったが、引っ越ししてしまってからは足が遠のいていた。友だちと来て喋りながら食うとそうでもないのだが、家族だけで食うと激しくもの悲しいのだ。しかしこういうもの悲しい場所は独り者にはかえってやさしい。そういうわけで巨大モールの三階に向かう。韓国風というかキムチを使った丼飯を食おうと思っていたのだが、久しぶりに来ると、店が数軒閉まってしまっていた。壁が見えてしまいなにか寂しい感じだ。平日だからか(?)人も少なく、ますますわびしさがつのる。あまりどこも混んでいないが一件だけステーキを安く売ると称する焼き肉屋さんには人が並んでいるが、どうもここは苦手だ。しかしここを外すと、あとはちょっと子供の食べ物か、ラーメンしかない。まあラーメンならどこでも一緒かと思いラーメンやでビールとラーメンを頼む。が、妙に高くて、量も少ない。どうりで空いているはずだ。むかし京都の大学の近くにあった天一に似た味のラーメンとビールで千数百円。これはしかしおいそれとは外食できないよな。いちおう日常に使う外食店という位置づけだったはずだが、たぶん当初の設定よりは(相対的に)高くなってしまっているのではないだろうか。見るともなく周囲を見渡すと、やはり若い家族連れが多い。男の子は例外なく、頭の後ろを妙に長く伸ばさせられている。
ぼくのような独り者もちらほら。意外にと言うべきか、なんと言うべきか、女性のほうが多い。男はあまりここには来ないということなのだろう。何となく分からないではない。おそらくはここで働いている女性なのかもしれない。みんなラーメンかチャンポンを食べている。同じような道筋をたどって同じ結論になったんだろう。隣におじいさんとおばあさんが座って、ふたりで一杯のラーメンを分け合って食べていた。

たこ焼きやハンバーガーを売っているコーナーの近くでは、兄弟だろう、小学生ぐらいの男の子がふたりだけで何かを食べていた。ちょうど腰の高さぐらいまである仕切りのせいで何を食べているのかは分からなかったけれど、やはりぼくが小学生の頃、親に500円札を渡された友人がその弟を連れて、近所のお好み焼きやでふたりだけで夕飯を食べていたのを思い出した。それまで彼らと遊んでいたぼくはお好み焼き屋まで一緒に行って、しばらく喋ってから、焼き上がる頃に別れて家に帰った。当時は子供なのに弟を連れて外食するなんて、なんだか格好いいなと思っていた。いま思うとあのお好み焼きには、ほんとうに具はなんにも入っていなかった。


スタバですこしだけ本を読む。前にも書いたが、けっきょく戦後の日本の「建築」は「土木」に負けてしまったように思う。おそらくぼくが建築史を書くとすれば(そんなことはないだろうが)、取り上げるのは国土庁、つまり下河辺厚と、建築家で言えばせいぜいが西山夘三だろう。モダニズムがコンセプトがそのままかたちとなって現れた建築であると理解するならば、この二者ほどその理念を見事に体現しているものはない。
 前者の場合はしかもモダニズムを極限まで突き抜けている。そのコンセプトたるや明示的にクリストファー・アレクサンダーを用いた自然成長性に従って構成されるというものであり、結果としてはまさにベタな意味でのポストモダニズムを高いレベル(?)で実現してしまった。モダニズムが橋と道路(文字通りのponts et chaussees)であるとすると、まさに土木こそがモダニズムなのは当然といえば当然だ。
後者は後者で、団地=2DKシステムという今まさに僕が住んでいる集合住宅のベースを、しかも政治的にはおそらくは共産主義者的であろう人物が日本の貧困の代表とされる形式(実は僕自身は必ずしもそうは思わないのだけれど)をなぜか作ってしまっている。悪いけれど、動物としての人間にたいし、しかも人口集団のレベルで、その生活に影響を与えてしまったこのふたつのコンセプトの強靱さと比べると、やはり建築家というのはなにかデコレーションをしているだけのように見えてしまう。

むしろぼくの感じでは、日本の貧困を象徴する建築というのはまあ・・・まあいいか。

そういう意味ではしかし、磯崎という人は、そういう建築家の追いやられた閉域にたいしては、自覚的な人であるようには見える(前半五分の一ほど読んだだけだが)。だからといって何か適切な回答がなされているかどうか、あるいはそんなことが可能なのかどうか、悲観的にはならざるをえないけれど、多少の手がかりはあるような感じもした。

ちなみにこのショッピングセンターは、面積のほとんどは駐車場で、座って飯を食ったり、本屋で立ち止まっていると、高層の駐車場をグルグル回っておりてゆく自動車のつくる振動で、地面が揺れているのが分かる。Learning from Las Vegasを書いたヴェンチューリであれば、手を打って喜びそうな、かんぜんにハリボテでできた日本のラスベガスといえるような建物だ。建築家はお喋りが多いから、ついつい文系はそれに付き合っているけれど、あれはしかし放っておけばよいのではないかな。しょせんはデコレーションに過ぎないのではないか。
日本語は、図版が見にくいこともあって、あまりよくはないけれど、まあヴェンチューリからはまだまだ学べることは多いと思う。

Learning From Las Vegas: The Forgotten Symbolism of Architectural Form (The MIT Press)

Learning From Las Vegas: The Forgotten Symbolism of Architectural Form (The MIT Press)