あまり

書く気もなかったのだけれど、なんとなく気が変わる。この間に起こったいろいろなこと。

さすがにテレビを見る。事件を知る、というよりも、メディアがどう報道するのかが気になる。
トヨタ関連会社のリストラ対象となった派遣社員であることをほぼすべてのメディアが一貫して隠蔽。しかも当初は、元派遣社員だった肩書きが、別のもの(無職であったか)に変わる。
・両親の家に大量に押しかけカメラの前で記者会見させる(しかも異常な質問)。
この二点にかんしてはあまりの異様さに目が眩む。もう完全に駄目だと思う。

トヨタ関連会社派遣工がたちまち強調され、それにたいして短絡であるという批判(アカの左翼のマスコミ云々)がネットに書き込まれる、というあるいはかつてであればそうであったかもしれない状況とどちらがより望ましいのであろうか。

両親にたいするリンチには、もう何をどういってよいのかよく分からない(しかもトヨタにたいする「配慮」と平行して)。文明にたいする挑戦であるとしか思えない。これは文明の名において、あらゆる手段を用いて否定されねばならないのではないか。

テレビを見ていて、犯人の携帯サイトへの書き込みが写される。たまたま二つほどニュースを見たが、どちらにも

やりたいこと…殺人
夢…ワイドショー独占

という画像が出たが、どちらのニュースでも、アナウンサーは前半部分は声に出して読んだが、後半部分は読まずに流す。
愚かないしは鉄面皮ゆえに気がつかなかった、とも解釈できるし、社内事情から声に出しては読めないが、暗黙の批判として画像のみ流した、とも解釈できる。

殺人とワイドショー独占が夢。夢は両方実現された。今日も明日も実現される。一週間ぐらいは実現される。

これ以外の夢も存在してよいはずなのだが、おそらくはこうした短絡を生みやすい状況であろうとも直感的に思う。80年代までであれば社会的上昇(舞台への登壇)という夢にたいして、小市民的生活は、それが破れたときにあらためて見いだされる可能性として表現されていた。破れた「夢」の受け皿としてまずは「生活」があった。それが完全に逆転した。わたしは生活という夢に破れました。ですから舞台に上って死ぬことにします。ではこれから人を殺しに行きましょう。