書評もしてみるよ。

ちゃんと読んでみたら意外と(ごめん)面白かった。

食の共同体―動員から連帯へ

食の共同体―動員から連帯へ

最初は第三章の藤原くん目当てにしていて、ナチの話だったので、またかと思って(ごめん)、忙しいし後回しにしていたのだけれど、ふと授業ネタに使えやしないかと思って読んだみたら、最初に考えていたよりもずいぶんと面白かった。
第1章(日本)と第2章(ドイツ)が歴史の話で、第三章(有機農業)と第四章(食育)が、現状の話になっている。が、世代的にいうと第1章と第4章がぼくよりも年上(60年代と50年代)で、第2章と第3章がぼくよりも年下(70年代生まれ)。で、このふたつの世代(?)にははっきりとした違いがある。良くも悪くも前者は、国家というものを具体的な実態として見ている(マルクス主義の刻印があるといってもいい)のにたいして、70年代生まれのふたりは、国家や社会を構成する、国民であったり市民であったりするものを、必ずしも国家や権力にたいして対立するものとは捉えていない。何か新しい図式がそこにあるというよりは、良くも悪くも曖昧だという感じもするけれど、しかしいずれにせよトーンの違いはかなりはっきりと出ており、たとえば(どこでもいいのだけれど)第1章だと

したがって、人的資源論という名の健康政策は、人びとの生活習慣を無視して、国家への貢献度とういモノサシに従って彼(女)らを改変しようとするものだったのである。(p. 48)

といったような調子が目につく。つまりはこういう部分だけに注目すると(そして内容を要約しようとするとしばしばそうなりがちだが)、印象としてはいささか図式が強いというものにならざるをえない。
もっとも論文の終わりの方に

ただそうしたなかにあっても、米食共同体の自己矛盾のうちに生きさせられた人びとのつながりにおいて、別の可能性があったことばでも否定することはできない。(p. 68)

という文章もあるにはあるが、だが、その可能性はなにかという点について、それがどのようなものなのか、その痕跡は本文中には必ずしも明示されてはいない。やはり「規律権力」であるとか、「国家権力主導」であるとか、「相互監視に基づく統治技術」という言葉が一般に用いられるときに、しばしばそこに含意されているある種の価値判断が、そのまま適用されているという感じは否めない。その意味では立場と主張はずいぶんとはっきりしている。そこに何が書かれているか、という点については明快ではあることもまた確かではあるのだが、ぼくの趣味からすると・・・・、ただまあ論文というのはそういうものかもしれない。

ただぼくなどは、あらゆる文章をエッセイないしは小説として読んでしまうという悪癖があるものだから、そういうタイプの人間にとっては、むしろこういう切り口上は、ちょっと近づき難い。しかしこういう話が始まるまえのところで記述されている、パン食が(下級俸給生活者にとっては経済的な)米の代用食として用いられていたであるとか、戦前期の学校給食の都市部と山村部の違い(まあ戦前の経済格差を考えると当たり前なのだが)は、やはり面白い。
ちなみに玄米食が戦時中に贅沢で美味とされた白米よりも望ましいものとして、政府から推奨されたにもかかわらず、ひとびとはやっぱり白米が恋しかった話が紹介されていたが、同じようなことはどこにでもあるもので、フランスだとこの話は白パンと黒パンとの争いになる。パンというのは玄米と同じで白く、苦みの少ない味にしようとすると、皮の黒い部分を取らないといけない。そうすると白パンを作るには、たくさん精製することになるから、分量も減って栄養価も下がる。それでやはり自治体当局や王権なんかは、白パンを制限しようとするのだけれど、食えないとなると人はそれを食いたくなるもので、やはり庶民も白パンを愛好するし、パン屋のほうも白パンのほうが高く売れるので、なんとか余分に白パンを売ろうとする。
玄米のほうもいまではそちらのほうが健康でエコだということになっているが、パンのほうも、いわゆるいろんな混ぜもの入った色の黒いパンのほうが、栄養価も高いし、味も複雑でおいしいということになっていたりして、そのへんはまあなんといっていいのか、どことも人間はよく似たような振る舞いをしているななどとも思ったり。

そういえば給食の話がこの論文にも出てくるのだが、ぼくの田舎では小学五年生になるまで給食というものがなかったから、給食がスタートしたとたん、見るもの食うものが珍しくて、アホな男子たちは(しばしば暴力沙汰を起こしながら)給食のおかずを取り合っていた。教師もそういうのはなぜか放置プレイだったから、たしかに「力の支配によって、公平性が損なわれていた」なあ(それにしてもなんであれは放置されていたんだろう?)。
そういうわけで、どんどん学問から離れていっているからかもしれないが、そういう細部は面白かったのが第1章。
[時間がないので、第2章はまたこんど。ナチの話も面白かった]