Everybody Wanna Get Funky One More Time

こっそりと更新してみる。
・年末。
何があったかあんまし覚えていない。オシムが倒れたのはこの頃だったろうか。とても悲しかった。mayakovはSOPにSVABO OSTANI(シュワーボ・オスターニと発音するのであったか)を教え込んでいた。じょじょにチームが変化してゆくのがはっきりと分かったから、最後にはいったいどういうチームになるんだろうととても楽しみだった。
オシムが就任すると聞いて最初に思ったことは、もったいないだった。あの上層部なのだ。結局、緊急連絡がうまくゆかなかったり、カペタンが隠すべきことをあちこちで吹聴したり(真剣に加齢にともなう問題を懸念した。他人事だけれど)、いまとなっては、やはり過ぎたるもののひとつだったのかとも思う。ばちが当たったというわけでもあるまいが。
しかし非常に悲観的な状況から、一見すると驚くほどの回復を見せているから、よほど治療がうまくいったのだろう。取り返しのつかないことにならずにすみ、またみょうな愛国心だという気もするが、医療チームは日本人の面目を保ってくれたというようなことも思った。
新しい監督は過ぎたるものではないので、ばちが当たる心配はない。それが理由というわけではないが、やはりジーコ時代に関心が切れてしまったからか、もう身を入れて見ようとは思わなくなっているのに気がついた。

そういえばチリ戦・・・意外と面白かった。チリすげえ。下手にアルゼンチンとかとやるより練習になるんじゃないだろうか。ボスニア=ヘルツゴビナ戦・・・オシムがなんか食ってるシーンしか覚えてない。内田イマイチ。意外性ゼロ。なんか堀池みたいだった。加持って、なぜか抜くときはフランスだろうが、ブラジルだろうが抜けてしまうので、そこがよかったのに。タイ戦・・・あるのを忘れてた。録画を忘れ見逃す。

そうだShuffleが壊れてからずっと我慢していたのだが、iPod Touchを買ってしまったのだった。最初は音楽を聴いていたがいまは、もっぱらPodcast。間違えてRFI(フランス国際放送)の中東ニュースを登録してしまってからずっと聞いている。毎日ひたすら死者のニュース。今日は子供が4人死んだと言っていた。自動車の爆発と不発弾の爆発で。それと中東情勢はかなりやばいのではないだろうか。それともずっとこんな調子なんだろうか。
・正月
何があったっけ。なにかいろいろ仕事をしたような気もするが、そのぶん翻訳は停滞。そうだSOPが風邪を引いた。喉に来てしまい、最近ではしんどい風邪だった。一週間ほど夜中もずっと咳き込んでいた。最後の4年生の卒論にケリをつける。ちょうど10年。卒論を見たのはしかし5年だけか。もうすこし感慨があるかと思ったが意外とそういうことはなかった。いつもと同じ。仕事にひと区切りがついたというだけの感じ。
そういえば合間に変な本を何冊か読んだ。記憶に残ったのは
田中宇マンガンぱらだいす』風媒社。わざとそうしたのでなければだが、いい意味で「素朴」なルポ。表で流通している建前の話と、実際の現場の複雑な現実との落差に驚きつつ、妙な暴露ものにならず、とまどいながらたんたんと書き留めている。天牛で500円ぐらい。

マンガンぱらだいす―鉱山に生きた朝鮮人たち

マンガンぱらだいす―鉱山に生きた朝鮮人たち

渡邊一夫訳『ガルガンチュア』第一の書と第二の書。戦後すぐに出た薄い表紙の白水社版。別に初版でもないので(第二版)コレクションにもならないのだけれど、本として作りがすばらしい。後で箱入りになったやつよりもこちらのほうが全体のデザインは優れているのではないだろうか。何がいいといって本当の活字なのがいい。なんとなく組もいい。なかに挿入されている地図に書き込まれている手書き文字もよい。こんなにすばらしいのにわざとらしい自己主張がないのがいい。職人仕事が伝わってくる。二色刷の表紙もいい。1800円ぐらい。ちょっと高かったけれど我慢できなかった。
クルツィウス『フランス文化論』これも500円前後。大戦直前にドイツで書かれた、たぶんハイティーン向けの教科書。もうむちゃむちゃうまい。
佐藤優『私のマルクス』これは新刊。青春の書。「プロ」がやってくる直前の、まだいくらかアマチュアな気分の残った学生運動の世界。
著者とは一回り違うのだけれど、ぼくが大学生になった直後、この書物で書かれていたような「世界」はまだかすかに残存していた。神学部の黒い魚の旗も実際には見たことはなかったけれど、話としてはどこかで聞いて知っていた。ただ、ぼくが大学院生になるころには、こういう世界は急速に消えていった。鴨川の東では。バブルがきたせいもあるかもしれないし、別の要因かもしれない。何かがぷつりと切れたような印象は残っている。
私のマルクス

私のマルクス

高田博厚分水嶺』。我ながら変な本をと思ったが、500円なので買って読む。前半パリに行くまでの記述の速度がすばらしい。パリに着いた後は平凡とまではいわないが、パリに着くまでの過剰に省略された文章のもつ緊張感はない。後半は愛人とセックスする(までの)話に。それはそれで面白くないわけではない。
あと、敗戦直前のパリで、たぶん前田陽一のことだろう、こんな話が暴露されていたりする。

結局、妻子を連れてパリに留学生として来ていて、パスカルを研究している人物が、非常時とあって外務省官補として現地採用された。私もよく知っている真面目な人間だが、私を呼んで、「高田さん個人としてなら、何を書かれても言うことはないが、新聞というのは公器だから、日本の方針に反するようなことは書かないでください」と、言いにくそうに言った。これで議論してもしかたがない。「承知した」と答えて、その次に「君は今外交官だが、ずっと外交官でいるつもりか? パスカル研究は続けてやるのか?」とすこし性悪に訊いたら、彼は目を伏せてしまった。

と、性悪に書いてあったりして、うのちんではないが、やはりゴシップは面白いというか、わざわざ再録するぼくも性悪か。でもまあパスカルやっている甲斐がないというか、こういう人は多い。どうも日本のリベラリスト(というかブルジョワなのかな)は腰が弱くて困るという印象がある(そうでもない人もいるのだが)。王権と闘ってないからだろうか。
買ったのはハードカバーだが、岩波現代文庫になっているみたいだ。しかし岩波の本で目にとまるのは古本ばかり。

分水嶺 (岩波現代文庫)

分水嶺 (岩波現代文庫)


神戸の後藤書店が店を閉めた。そういえばSwiftの全集があったな、とか思いながら行ったが、二階の本はめぼしいものはすっかりなくなっていた。仕方がないのでいくつか雑本を買う。スラトキンのリプリントとか、これもリプリントだけれど、Jurieuが一冊あったので買った。1000円ぐらい。あとLittreのAuguste Comte et la philosophie positiveが2000円だったので買う。いちおう1864年の古本だけれどそれほど値打ちものでもないだろう。いちどばらけたあとに、簡単に製本してある。ただ達者な字で書かれた何枚かの紙片が挟まれていた。そのうちのいくつかは、どうもl'Annee sociologiqueに載った論文を抜粋したもののよう。白骨化した人間のペン画もあって、原始人の骨とか注記してあったり。とくにどうということもないが、しげしげと眺める。1892年3月2日と日付が打ってあった。

心斎橋のヴィオレッタが店を閉めるというのでmayakov, SOPとともども最後の挨拶に行く。14年目とのこと。ちょうどnymar御一行と会う。オリーブオイルがあんまりにもおいしいのでどうしているのかと聞いたら、東京の業者(横浜であったか?)から仕入れていたとのこと。関西ではもうそういうちょっと凝ったものは手に入れにくいらしい。とある商売をしている若いひとによると、大阪の職人さんに凝った仕事をしてもらおうとすると、嫌がってなかなかやってくれず、面白がってやらせてくれというのは東京の職人とのこと。やはり大阪はしんどい。庶民の町とか言って甘えていたら進取の気性までなくなってしまったとも言えるが、たぶんたんに貧すれば鈍するということなのだろう。文化は余裕だろうし。

新鮮な魚介類をうんざりするほど食い、井戸水を飲んで育ったので、料理はともかく材料の善し悪しはだいたい分かるつもりなのだが、ヴィオレッタはほんとうに良心的だった。どんなかたちでもいいので復活してください。ヴィオレッタのためなら改宗してもいいです>神様。

それにしても、景気回復が一瞬きたと思ったらまた遠のいてしまいそうだ。こんど同じようなことになったらもう、残っている体力が違うわけだから、そんなに長くは持たないのではないか。よりによってこんなときに、と書きそうになったところで、デモクラシーの未来に思いを馳せつつ寸止め。南大阪の商売の人たちは、誰も彼もがシャープ、シャープと、シャープに一縷の望みを託している。

振り返ってみるとわりとほとんど本は買ってないつもりだったけれど、そうでもないなあ。この一年わりと我慢してきたのでちょっとたがが最後にはずれたのかもしれない。
横文字も一個入れとかないとなんだかかっこ悪いので無理矢理入れておくと、なんというか大統領が替わるこの時期に季節外れもいいところだが、Alain Frachon et Daniel Vernet, L'Amerique Messianique -- Les guerres des neo-conservateurs --, Seuil 2004というのはよかった。
L'amerique messianique

L'amerique messianique

訳しておいてもよかったのではないか。ジャーナリストらしいが、シュトラウスから始まって、内幕話のようなものまで、ネオコンと呼ばれる人たちについて、コンパクトに全体が見渡せる。わりとフェア。いっぽうでシュトラウスやブルームについて内容に即して書いたり、ヴァニティ・フェアーに載ったインタビューからネタを持ってきたり、自分でもインタビューしたりと、硬軟両方混ざっている。往年の立花隆であれば書けるだろうか。東大の歴史についての話などを読んだが、それほど本気で書いてはいないとはいえ、比べてみるとやはり見劣りがするように思う。この辺のものについては彼我との差はまだまだ大きい。

それにしても日本のネオコン風のひとたちは教養がないのが困る。困るってべつに困りもしないか。

などなど。