そういえば

あんたの言う精神というのは資本のことだろう、とマルクスは言ったのではなかっただろうか。

構造という言葉にはどうやら二種類の使い方があって、世代的な刻印のせいか、どうしても構造主義の意味での構造、つまりは形式をついつい想像してしまうのだけれど、もう少し古くからある使い方ではむしろ「本質」という言葉の言い換えとして使われるケースも多い。革命や改革の対象になる「構造」というときには、こちらの意味で使われていることが多いのではないか。

そもそも形式というのは変更可能なものなのだろうか。たしかそれは基本的には頭の中にあるものだったはずなのだが。

もともとそんなにきっかりと定義して使われている言葉でもないだろうから、あれこれ意味が混じってしまうのはしょうがあるまいが、それにしても構造の意味が「(なんであれ)伝統的日本的慣習」であったりすると、これはもうもろに近代化論であって、そのかぎりで初期マルクスそのものとなる。ようするに生産関係が桎梏になっているというやつだ。

「われわれ」にとってその生産関係は、疎遠なもの、「われわれ」にとってもはや受け入れがたいものとしてあらわれている。だがそれは同時に超克の契機でもあって、ハイデガー風というか、ヘルダーリン風というか、「またそこにこそ救いも生まれん」ということであって、だからこその革命ということになる。ところでこの「われわれ」というのがデリダにいわれなくとも「人間」の言い換えであることは言うまでもなくて、そうであれば変革によって生まれるものは「新しき人」以外の何者でもない。

こうして「われわれ」はみずからの「本質」Nature/Essenceを抱きしめることを夢見続けてきたのだ。つづめて言うとあまりにも「文学的かつ哲学的」な想像力が永遠の青年のなかに生き残っている。死んだはずではなかったのか。

(むりやり続けてみた。もう少し気力が回復すればまたつづく。)