というわけで

39才になった。天神茄子さんの言う「微妙な年齢」はいましばらく続く。

たぶんSOPが入院しなかったからだと思う。37-38はまるで小学校の頃に戻ったように長い1年だった。もちろんいままでよりも圧倒的にゆっくりと時間は流れていることは確かなのだが、38-39はしかし早いペースで過ぎてしまったような気がする。

テレビを見ていたらNHKクローズアップ現代で南大阪市の小児時間外来医療の崩壊について特集されていた。いま時間外に見てもらおうとすると、さらに南にある町まで出かけなければならないらしい。

SOPの入院した病院がふたつとも出てきていた。まさにSOPが入院していた部屋もテレビに映ったし、担当だった医師も映った。ずいぶんと早く追い出されたこの公立病院だったが(けっきょくすぐあとにもう一つ別の、いまも看てもらっている私立病院に入院し直す羽目になった)、いまもし同じことが起こると、隣町の病院に入院することになるかもしれない。時間外の診察の結果、入院することになったからだ。
そういえばあのときは点滴を打ったあとに寒い救急外来で、二時間ほど待たされたが、待っているあいだにみるみる病状が悪化していったのを思い出す。立派な建物で、入院生活そのものは、いま看てもらっているあまりきれいとは言えない建物の私立病院よりもずいぶんと楽だったが。

この公立病院の小児科医の数が減ってしまった結果、時間外外来を維持することが不可能になり、私立病院に患者が殺到した結果、過労で医師が倒れ、この私立病院も維持できなくなったということらしい。そういえばときどきSOPを看てもらっていた小児科の先生の名前がこの間、薬をもらいに行ったら、担当医師一覧から消えてしまっていたので、どうしたのだろうと案じていたのだった。ひょっとして過労で倒れたというのはあのM先生なのだろうか。

あるていどは全国的な現象なのかもしれないし、ある程度はこの南大阪市の特殊事情もあるのかもしれない。調べてみないとなんともいえない。経済学のことはよくは知らないので、竹中を大学に招聘したという以外に、どういう仕事をしたのか、よくは知らないのだが、大阪の某国立大学の、前経済財政諮問委員会の委員氏のグループがこの南大阪市の経営をコンサルトしているという噂を聞いた。ほんとうだったらいやだなあ。国を舞台にやったような無茶なことはやらないでほしい。おとなしくジャーナルに論文でも書いていてもらえないだろうか。

とはいえこの町にはあまり長くいたくないことも事実だ。町の構造が絶望的に破壊されており、空気は汚く、水も不味い。京都にはじめて行ったときもあまりの水の不味さに仰天したが、この町の水もいい勝負だ。このあいだmayakovがご近所さんに天然水をもらってきて、それでお茶を作ってくれたが、水が違うことが一口飲んだだけでわかった。それくらいにはまずい。まあ、水や空気の問題は都会に住む以上、しょうがない面もあるが、町並みが道路で破壊され尽くしていて、歩いているとどんどん心が荒んでゆくのは、やはり耐え難い。職場に近いという理由で住んではいるが、もうすこし懐に余裕ができればどこか別の町に移らないといけないだろう。

何となくそういうことも関係しているのかな、という気がついしてしまう。お医者さんとかも同じような感じだろうと思うからだ。

誕生日なのに変な日記になってしまった。まだ戦争は始まっていない。まあそれは救いか。