わけあって

斉藤環斉藤学と斉藤孝がこんがらがる。すみません。>斉藤さん。
しかも前二者は精神科医なのでますます面倒くさい。齋藤孝は歌って踊って国語教育だから、これは大丈夫とおもっていたら、ふと論文の題目をみているとフォーカシングがどうたらとか、このひともまたメンヘル系であった。

ややこしすぎというか斉藤という名字が多いだけか。それにしても斉藤という名字のひとは下の名前は漢字一文字というルールでもあるんだろうか。光さん。

しかし身体がどうとかとかいってる人はどうも魂と身体(ボディ)のことを勘違いしているんだなという仮説にまたもや傍証が・・・。心っていうと脳科学とかが出てきてやっかいだし(ひょっとすると精神分析すらも)、かといって新興宗教くさいと思われるのも(なぜか)嫌なので、身体といっといて、非局在的ななんか、もう、やたらもやもやしたものを想定し、なるべくもやもやさせたままその先にある、「何か」に向かって一直線に行くための道具として「身体」という単語があるに一票。ええともう少し脇が甘いと「生命」という単語を使うにさらに一票。哲学系によると「生」一文字になるにさらに一票・・・。しかし薬屋さんの宣伝と同じ単語が並ぶな・・・。

それはともかく、フォーカシングという単語を検索してリンクをたどってゆくと、しかし、トランスパーソナルとか人間性心理学とか、昔に岩月謙司氏のことに興味をもってググって検索したときと同じところにリンクがたどり着く。すぴりちゅあらー系ですなあ。どういう関係になっているんだろうか。ロジャースかあ。暇になったら読んでみるかあ。

あとどうしてもこういうひと(すぴりちゅあらー系)は女子の多いところに出没するような気がするのだが・・・・。むろん心理系はもとより女性の比率が高いからそうなるのかもしれないが・・・・。もしそうだとしてなんでなんだろう。一見、マッチョなイメージはないというのもまあそうなんだろうが。これもまた偏見なのだろうか。(それともやっぱりフロイトは正しかったのか。)
その偏見は、占星術とか占いがなんとなく女子のイメージなのとわりと軌を一にしているのだろうか。と、こんなことを書くといまやハーバードのFD将軍ピンカーになにか断言されそうだけれど。

キリスト教の皆さんはもうちょっとがんばってちゃんと布教するように。強いて入らしめよですYO! え? Am I my brothers' keeper? ですって。ごもっとも。