成果主義に

ついて、いろいろ考えてみると、大学というところではこの面についての改革は終わっているのではないかということだ。というのも職階(教授ー助教授ー講師ー助手)というものが存在し、それに併せて給料が決まっていて、かつその職階はなんらかの審査(その審査母体がどこになろうと)によって決まりかつその基準がいろいろな意味で「業績」によるわけであるから、それって成果主義じゃないの、ということだ。
むしろ問題は、それがよく分からない理屈で配分されているポストの数で昇進の年度が決まるために、(種々さまざまな)業績が多くても、その教室の教授が辞めるまではあがれないとか、そういう問題のほうが大きい。だから流動性を高めろとかそういう議論になるわけだが、絵に描いたもちだよ。
ようするに東大京大から内部昇進の禁止をやれば一発だろ。それと現状では退職金の通算な。中堅大学にとっては移籍金と同じ意味をもつから、Jリーグみたいでいいじゃないか。下手に年俸制にするよりスムースだって。簡単でいいだろ、科研の申請一件で0.5点とか、へんてこな点数で競わなくてもいいし。まあ流動性が大事だっていってる教室のひとからですな、泣いて馬謖をバンバン斬っていってもらってな。いやこれゼロ・サムだからさ、誰かは損はするんだってばさ。
な、だから絵に描いたもちなんだよ。

というわけで内側だけで考えると、ああつまんない話になるよな。まあそれはそうと、うちの大学も、教授という職階が一番多いわけで、皆さん「成果」が沢山おありで、それだけ優秀なひとがごろごろしていて、良かったなあ、安心だというわけだが、ええと。そうだな、まずはその辺から見直さないと、ますます歪んだ体系になるよな。
ということは、いま敢えて成果主義がどうのということは、各部局、学科、教室ごとに振り分けられているポストの数をいじるんだな。血を見るな。けどそれ以外に有意な解釈はないよな。
この作業は、大綱化で大部屋になったような学部だと相当面倒なことになるよな。でもヨーイドンで競争させるってんだから、スタートラインは揃えとかないとな。そうかあ、まずは学科・教室ごとの給与の一覧表を出すところからか。大変だな。いちいちチェックしないと公平性が保てないよなあ。
ところでそれでいくらくらい差をつけるつもりなんだ。私学って国公立の下手をすると1.5倍ぐらいになるんだが(生涯賃金だとそれぐらい差がつくだろう。いやもっとか?)。それとも人材確保の観点からいって、大学同士の比較ではなまぬるくて、学歴で切って他の民間企業の平均賃金出すところから始めた方がいいのか。経済学やってる連中は是非とも銀行や証券会社あたりと比較してほしいものだ。
ところでその成果主義で、いったいいくら差をつけるんだー。その差をつけるためにどれくらいのリソースを投下するつもりなんだー。頼むから変な作文するなー。
だから教授はこれ上がりなんだから、皆管理職にしろって。日曜の試験監督とかみなやってもらえばいいじゃないか。これぞ教授ポストの有効活用だよ。実際余ってるしな。