採点したら

頭が切れてしまって、前書いてた文章の続きがなかなか書けなかった。そんなこんなしてるうちにきしどんかkら電話があったので、ここぞとばかりにむりやり話を聞かせる。

昨日のエントリ読んだら、国語力がどうだとか言ってるくせにひどい文章で、あんまりなので少し手を入れる。偉そうなことを書いているが、だいたい教師になろうと思って教師になったわけではない。むしろ教師にだけはなるまいと思っていた。今思い返すと各年代で先生にたいしてはひどいことをしてきたと思う。若気の至りというか、いったりきたりで、八つ当たりしていたのだとは思うが、今思い出すとほんとうに悪かった、という気持ちになる。

そういうホルモン過多の情緒不安定時代を過ぎて、ふと我に返ってみると、いくつか教訓は手に入って、もう人を巻き込もうとするのはよそうとか、なるべく一人でやれることをやろうとか、目の黒いうちに結果を求めないようにしようとか、そういうことだ。とくに学生というのは若造で、なんで俺の正しい意見は正しいのに皆賛成しないのだとか、賛成しているのになぜ助けないのだとか自分勝手なことを思いがちな上に、卒業というのがあるから、ついつい俺の目の黒いうちになんとかしないと、俺様の善行の成果を俺様が享受できないなど思い始める。そうすると最長でも3年ぐらいしかなかったりする。

けれどたしかにハイティーンの3年というのは結構な長さだが、今になってみると、3年なんて、屁をひってにおいを嗅いだらもう過ぎてしまっているような時間だ。

社会運動で目の黒いうちになにかいいことが起こるなどということはあるはずがなく、そんなものはどうでもいいからこそのひとのためのはずなのだが、しらんうちについついせっかちになって、うまくいかないとぎゃーぎゃー醜く騒いでしまうのは、だてに煩悩は108もあるわけではないというか、しらんうちに自分のためになってしまっているからだ。こればかりはしかしわかっていてもどうしようもない。それに遠い目ばかりしていては、閑居して不善とやらで、ときどきぎゃーぎゃー騒いでおかないと、いざというときにうまく騒げない。が、こればかりは意図してやっても効果が薄いというか、しょうがないから、ホルモンでも食うか。

だからきしどんとマクロ・ミクロに長短という軸もあるんじゃないの、というような話をしていたのだったが、きしどんの人並みはずれて多い煩悩は、おなかにぎっしり詰まっている。