テクストを

読んで分析すると、ついついディテールに目がゆくのだが、そのうちそれが膨大になってくると溜まってゆく個々のモジュールをつなげるのが面倒になってくる。ので、ついつい「われわれは・・・しなければならない」式の文章を後ろにくっつけてしまい、ふとそれに気づいてひとり赤面することになる。百人一首だか連歌だかもともと何の話だか知らないけれど、先の句につなげて歌を完成させる必要があるときに、何でもかんでも「それにつけても金のほしさよ」をくっつけてしまうという笑い話があるけれど、論文でもそういうマジック・ワードみたいなものはある。書いてるうちに何かいてるかわからなくなってくると、「それにつけても金のほしさよ」と書いてついつい話を終わらせてしまいたくなるのは、まあ理解できないわけではない。
ビラを書くというのは面倒なことで、だいたいあれはまあどうでもいいというか、もう学生運動なんて無くなっていたから、大して書く必要もなくて本当によかったのは、その数少ない記憶の中でそれは、ようするに科研とか事務仕事の書類書くような気分に本当によく似ていたような印象があるからなのだ。嘘の記憶かもしれないからあまり強く主張する気はないけれど。しかしとはいえビラを書くぐらいなら、それを巻いたり、貼ったりする方が楽しかったというのはこれはかなり確実な記憶としてある。公共施設のなるべく目立つところに糊でやるわけだから、いわば落書きするようなもので、小悪党の気分満喫だから楽しくないわけがない。ぼく個人のことで言うと、大学生になって、本当はそうではなかった不良の気分を追体験していたのかもしれない。前にも書いたが、建物の壁に書いた横文字の綴りを間違えたところまでお馬鹿な不良そっくりだった。
ほんとはそんなに楽しくもなかったような気もするのだが、しかし体を動かしてるほうが気が紛れるというか、ついこういうときには、ツベコベ言わずにからだ動かせ的な発想になるのは、たんに理屈が嫌いなのか。あれせいこれせいとか言って体動かさないやつは、全然リスクをとらないわけだから、これはまあ確かにウザイ。

そういえば早稲田でビラ撒いて学生がとっつかまったらしいが、しかしあんなことでいちいち警察呼んでいてそのうち、ええかげん当事者同士で解決せいと警察に怒られたりしないんだろうか。警察も忙しい(はず)だし、同業者として心配なのだが、昔と違ってもう体動かす学生が減っているということなのだろうか。だったらそれはそれで珍重しておいてもいいような気がするのだが、しかし確かに最近の傾向として学生と同じレベルでけんかするやつがいわゆる「当局」に増えているような気もしないではなく、どちらかというとうちの大学よりよほど偏差値の高い大学でそうかもしれないという印象もなくはないが、じつは具体例は二つぐらいなので統計的な信頼性には乏しい。が、まあ昔と違ってほんとにギャングみたいなのもいるから、どっちかっていうと、そっちを気にした方がいいのかもしれないが、現場の職員レベルではもうとうの昔にそうなっていても不思議ではない。刑法は刑法でも違う種類の刑法にひっかかる話はかなりあちこちで聞く。政治活動というのは良くも悪くも市民化されているわけだからまだ高いレベルの話題であって、いまや、もうすこし違う水準のところが問題になりつつあり、そのあたりの処理のほうが深刻である可能性は高い。いや平和ボケだとかいうつもりはなない。別のギャングの話ではないが、ご立派な大学でも、表には出ないだけで性犯罪がかなり多いという話も昔からあった。学生は文明化しているのだろうか、していないのだろうか。性犯罪については学生に限った話ではないか。
まあ新左翼気にしてたら、オウムにやられたようなものといえば大げさかもしれない。まだいまのところ白骨化した死体とかがないだけましだが、それだっていつ出るかわかったもんじゃない。偏差値高いところはそういうことはまだあんまり気にしないでいいからかえってのんびり昔風の枠組みが生き残っているということなのだろうか。

今日はいろいろあって文章が書けなかったので、文章の練習代わりだったのだが、それにつけても金のほしさよ。