さてこれから

授業の準備。まだあと10時間もある。楽勝、楽勝。今週は金曜と土曜の両方がつぶれたのが痛かったな。

しかし日本の大学のシステムで世界標準のことをしようとするとどうしても無理が出る。まあ教科書を粛々解説する類の授業にシフトしないと無理が出る。ので、そういう授業がつまらんと言われても困るところはある。週にいくつも、オリジナルかつ理解可能な授業はできない。

ただ問題は、人文系には教科書がない、ということなのだ。本来そういう学問ではないのだよ。教育学とか工学とかのいわゆる実学系職業教育のああいうスタイルが特殊なのだが、なんかそっちに右ならえになっている。(ところで教育学者の多くは旧帝大を出た人が多いので(メタ教育学)、どうしてもじぶんのことを実学系職業教育ではないと思っているふしがあるようにおもうのだが。どうなんだろう。)
教育学の人に、王様は経済学で応用学問だけど、ほんとにやってるのは思想史だから、ぼくらといっしょの人文学(基礎学)だよ、といわれて、口の悪い王様もさすがに困って返事できなかったことがある。いや認識の歪みをどっから訂正すればいいのかわからなかったからだ。

だから昔のように専門学校という名前にしてしまえばいいのに、と思うのはそういうときだ。

日本の大学の特に国公立は、職業教育が優位で、それは理系とくに工農あたりが中心になってる大学は特にそうだ。ぶんけいでも地方国立大学は旧師範がおおいから、もろ職業教育(教員養成)で、医学部法学部というクラシックなところもそう。まあマンフォードに言わせれば、神学部だって職業教育そのものだから、大学はそもそも職業教育でしょ、ということになる。これはまあ極論だが一面の真理だ。まあ理学と文学、そして事実上第二文学部であるところの旧帝大の教育以外はだいたい職業教育と言っていいわけだ。私学の多くは、同じ文系でもいわゆる社会科学系がさらにおおいのだが、経営とか経済学部というのは、まあこれは非常に実社会で役にた、げほげほ。いや少なくともカタログ・スペックはすごいですよ、ええ。まあじっさいホワイト・カラーを大量に生み出して福祉国家を支えたのはたしかだ。

ところでみなさんはこれをどうしたいのか。中身が問題だとおっしゃるのか。大学の中身は人です。残念ながら人はじょじょにしか変わりません。カリキュラムを変えろつっても、いやだからいまやってるメニューはそもそもが実学なんですって。教科書あることが前提になってるような学問というかカリキュラム取ってるところは全部そうですよ。
じっさいにも、工学とか農学って、企業の人事の人は研究室単位で見てますよ。ほにゃらら研究室の人は使えるとか、伸びしろがあるとかないとか。いや文系だって経済とか経営とか、そういうふうに見られてる研究室多いですよ。心理だって、社会心理とかそうですよ。
いやそもそも、学問のジャンルに限らず、あの先生の学生なら使えるだろうって、いって取ってもらってる学生おおいですよ。っていうか大学院の入試したらそういう判断しませんか。(おれ大学院担当したことないからわからんけど。)
まあしかしもともとが職業教育だから、需給のバランスが崩れると困るって話でしょう。教員養成とか。これは基本的には医学部みたいに定員のコントロールせいという話にしかならんと思う。定員にたいしてスタッフが多すぎると問題だっていうなら、そりゃそんなことを見越した採用計画をとらなかった大学の本体が悪いということにしかならない。
いやそういうのと違った原理で人間の採用したいんなら、あるいは組織を温存したいのなら、やっぱ就職とは直結しませんというロジックにならないとおかしいのではないのか。

ええとだから専門学校って名前にしましょうという話だね。あとそれと大学、大学っていってるけど、学部単位で考えないとだめだよね。もうぜんぜん違うんだから。合併ってだから筋が悪いと思う。もっと学部単位でばらしていった方が、あとあと整理もしやすいのに、とその昔思ったもんだ。

とかなんとか、勢いのついた所で明日の授業の準備に向かうのだった。

え?なに?カタログ・スペックのわりに使えない? うーん、なんかそっちの設定がおかしいんじゃないかな。へんなソフト入れてない? いやいまちょっと忙しいから。またあとで。