授業は

というかゼミは、予想通りなかなか進まないが、社会人入学の人(そろそろ定年が見えてくるくらいの年齢の人)なのに無理やり読まされた英語のロザンヴァロン、よくがんばって訳してきている。が、やっぱり最初のほうなので説明を大目にしないといけない。ほとんど、訳しおろし(語りおろし)になるのでかなーり疲れる。
英語、というか英語の文章の読み方の解説が半分以上をしめる。これは年来の主張なのだが、学生さんの多くは(日本語でも)譲歩文というのをあやつれないので、そのへんで意味が逆になってしまうことが多い。まあこれは英語というより日本語の問題の気がする。声に出して読んでたりするからだろう。
声に出して読んでみる(踊りながら)譲歩文、やってみろ。

新しく参加した学生さん(このひとは現役)が、某所でM嶋さんと会ったらしい(via 酒井くん)。授業でなに読んでるか調査されて、ロザンヴァロンと答えたら、「はあ〜、かわりばえせんな〜」とのこと。

でもこの本、教育的で学生さんが読むにはすごくいいんだけどね。薄いし。こういう本、書か(書け)ないんだよねー。岩波とかこういうの書かせてださせればいいのに。書ける人がいなくなったんだろうなあ。
妙な迎合(薄くてもカラフルでもダメなものは(ますます)ダメ)と、なんで日本語やねん(つまり、もうそんなにピンポイントな話題なら英語(仏語、独語etc..)で書けよ。国内じゃ議論にならんやん、というタイプのやつ)という両極端のあいだにはいっぱい空間があるはずなのだが。

終わってからNaissance de la biopolitiqueのやばそうなところを急ぎながら読む。ネタかぶりまくり。って20年前におっさんが先に考えて、それに影響されたわけだから、かぶるもなにもないのだが。ぺんぺん草くらいしか生えてない(スネラールがまたよく読んで丁寧な注をつけてる)。

ただ、フーコーがやっているのは人的資本の話と犯罪抑止の話をつなげて考えているんだが、それはあんまし考えてなかったのでそこは素直に面白い。まあそのへんが関心の違いになるんだが。

もう発表するのやめて、講義の朗読しようかとも思うが、そういうわけにはゆかんので、ぺんぺん草の周辺をほじくることにするが、金・土・日とつぶれそうなのが痛い。
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別の学生さんによると机を蹴り上げた日、ぼくが出たあとの教室の様子はなかなかコミカルだったらしい。が、もうしないようにしよう。

まあしかしそれでもずいぶんましなほうらしく、あまりにうるさいので、なかには教室内で学生同士が喧嘩したりもすることもあるとか。出席もとってないし、どっかで夜遊びでもして昼間は寝ててくれればいいのに。わざわざ月曜の午前中にしてるんだから。