デリダの授業

デリダの授業は、EHESSの大きな講堂がいつも満杯だったから、少し早めに行かないと座れなくなったりした。その日もいつものように少し早めに行ったら、まだ前の授業が終わっておらず、しょうがないから扉の前で待っていた。ほんらいはもう終わっていいはずの時間だったけれど延長しているらしく、10人くらいのなぜか年配ばかりの学生と教師が何かやりとしていた。10分前ともなれば、廊下は人でいっぱいで、立錐の余地もなくなっている。後から後から人が来て、何でみんな中に入らないんだ、まだ授業をやってるのか、おいおいこんなに人がいるのにどうするんだよ、とうるさい。それにみんな御丁寧に自分の目で確かめねば信じられぬと、扉を開けて中をチェックするから、教師も学生もあからさまに嫌な顔をする。こういうとき、日本人ならあたふたと授業を終えて、部屋を開放するんだろうけど、カフェに行っても間に合うような人数なのに、意地になっていたのかもしれないけど、決して終わろうとしない。

窓口で後ろに何人並んでいても、平気で係員と喧嘩したり、喧嘩しているならまだいいけど、世間話したりするフランス人だから、まあこんなもんかな、と思いつつも、けどちょっとあんまり人が多すぎて危ないよなと思って待ってたら、デリダがやってきた。やっぱり何でみんな待ってんだと聞いて、前の授業が終わらない、と言ったら(そうか一言だけ言葉を交わしたんだ)、やっぱり扉を開けてじろりと中を睥睨した。しょうがないなと口をへの字にして待っていたけど、3分も待てない。明らかにイライラしている。やおら中に入って教師と何かやり合って、また外に出てきた。トイレに行く。戻ってくる。口はへの字。近くにいる若い学生になんか言う。そわそわする。へーこういう人なんだと結構おかしい。短気だという噂を聞いたけど、本当なんだねと、思っていたら、いきなりなんか言って(こういうのが聞き取れないのが悲しい)、扉を開け放して、まだ教師がなんかしゃべっている教壇に猛然と向って、その教師に向って、たぶん出て行けとかなんとか怒鳴っている。学生が怒って横暴だーとか言ってるけど、なんか大声で言い返している。こっちをみておめーら、さっさと来い、と大きなジェスチャーで手招きをする。

これはもう100%デリダが悪い。どう考えても悪い。たぶん、前の授業をしていた教師は、うるさいし、プレッシャー掛けられるし、デリダは有名人だし、意地になってわざと延長してたとは思う。思うけれども、それはそれ、これはこれで、デリダの授業時間はまだなのだから、彼らを追い出す「権利」はデリダにはない。だからもうこれは横暴なのに決まっているんだけど、ぼくはあんまりその子供じみた振る舞いがおかしくて、両腕を大きく使っての手招きに、ついげらげら笑って、「わー」とか言いながら教室に入ってしまった。

デリダの授業は下手をすると500人くらい学生が来ている。待っていた学生はまあ100人だとしても、それでもかなり多い。それがわらわらと大教室になだれ込むことになる。ちょっとあまりの横紙破りに、教師は唖然としてしまっているし、デリダはしてやったりみたいな顔をして知らんもんねー、という感じで、あっちのほうを向いている。学生たちは立ち上がって怒っているけど、多勢に無勢だし、ぼくはぼくで悪いなーと思うんだけど、あんまり子供じみているので真剣には悪いとは思えない。なんか信じられないとか破廉恥だとか言いながら出て行く学生と教師を、見送るデリダの表情は、これっぽっちも悪いと思っていなくて、どんなもんだい、という顔をしていた。

権力というのは往々にして子供じみたものだから、そのことをもってしてデリダのこの振る舞い(いやいや、あるいは暴力ですか)の弁護はしてはいけないのだけれど、けれどもこのことについてはあんまり細かいことを言おうとは思わない。もちろんデリダの権威を笠に着ての狼藉に加わってしまった者の言い分だから、それはさっぴいってもらっていいのだけれど、そのあまりにも子供じみた振る舞いは、まるでお祭りの狼藉といった風情で、だから大目にみてやってもいいんじゃないかと、いまでもぼくはそう思う。

お祭りのときには警官と暴れてもいいんだ、いやほんとに。もちろん警官は権力者なんだけど、お祭りの狼藉はかならずしもそういう問題でもない。

事件が終わった後でやってきた、デリダの学生だった人(翻訳もしている)にこの話をしたら、彼は短期で喧嘩早くて、と困ったもんだと顔をしかめながら笑っていた。フーコーとの喧嘩は有名だけれど、あちこちでこういった喧嘩をやっては立場を悪くしていたらしい。

あれやこれやの本も少し違った姿に見えてこないかい。

くだらないけれど、ぼくにとっては、こういったことが デリダ の好印象につながっている。サッカー選手になりたかったというのはだからほんとうにそうなんだろう。なにがだからなのか論旨は不明だけど、まあだからサッカーも好きなんだろうな、と思う。

そんな話。