申し訳ありませんでした。

>首大のなかのひと
http://blog.goo.ne.jp/sugi37/e/7552174c4993e4765b2d7af5151722a2
(via http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20051125)
かつて、学長挨拶と知事挨拶を見て

「役人も少々手を入れろよ。」
http://d.hatena.ne.jp/yeuxqui/20050121#c1106237807

と書いてしまいましたが、すでに手を入れていたという可能性に思い至るべきでした。

いっぱんに「改革」の好きな人は仕事ができません。というか仕事ができないのは、制度のせいだとおもって、改革をしたがります。狭い範囲の見聞ですが。そういうひとはカリキュラムをいじるのが好きです。

もっとも(本当の)現場では、「改革」は自発的になされる場合がほとんどありませんが。というか日々、このような「改革」の残務処理に追われていて、そのような余裕がない、というべきかもしれません。(遠い目。)

ついでにですが、「地独法」を読んでいて不思議に思ったのは、起債ができないことでした。どうするのだろうと思っていました。ところで今週の文春に、SPCの話がでております。いやまいった。頭のいい奴はいるなあ。むろん運営費交付金でやるよりも利子を払って借金を返すという仕組みのほうが経営努力につながることは確かです。ええ。ええ。たしかに経営とは借金することです。まあ透明性をできるだけ高めておかないと、不用意にやってるところがすでにあるようだから、とばっちりをくうかもしれませんね。

あと問題は、経営できるかという点なのだが、経営=会計だと思っているような節があるようなないような。つぶれそうなスーパーの起死回生の策として、営業時間延長をしたら、人件費どころか水光熱費にもならなかった。しょうがないのでスーパーを開けたまま電気を暗くしたという嘘のような話があります。

これはしかし役所では一般に行われていることでもあります。(いませんか、公共施設の玄関の光まで消してしまう「コストカッター」。)この方向が私には見えています。気のせいでしょうか。

先日も別部局で選挙があったようなのだが、どうも偉くなりたい人がいるみたいで驚く。しかし偉くなると比例して責任もともなうのだがな。組織なんてのは「責任」をとるため「だけ」にあるようなものだから、責任を取る度量のない人は責任のある場所には座らない方がいい、のだがプライドと能力とのトレード・オフの算定はいつも難しいようだ(つうかほぼ100%間違えるんだな。いいほうにも、わるいほうにも。)。

ので、組織設計をするとき、権限もないかわりに責任も発生しない、床の間を作っておくというのは大事なのだろうなあ。あっそれががく@94fjだいこ%&かあ。