頂き物

一回書いたらふとしたはずみで消えてしまってショック……。
編者の澤田さんからいただきました。ありがとうございます。

シリーズ学びの潮流2 子どもを学びの主体として育てる (シリーズ新しい学びの潮流)

シリーズ学びの潮流2 子どもを学びの主体として育てる (シリーズ新しい学びの潮流)

せっかくいただいたのに、いまちょっとぱらぱらと眺める以上のことは時間的にできなくて申し訳ありません。ただ、ずいぶんと昔、高坂の「期待される人間像」について調べて論文を書いたときに読んだ、当時の教育学者たちの論点がふたたび問題になっているのだなという感じがしました。それは実質的には、(なかでも触れられているように)マルクス主義という論争の焦点が消えたあとにおける論点の再構築といってもいいでしょう。
いっぽうで、それは、ある側面では知育instructionか徳育educationかという革命期以来の論点の今日的表現でもあるような感じもしました。
フランス革命期の公教育論 (岩波文庫)

フランス革命期の公教育論 (岩波文庫)

徳育と訳されるeducationは、共和国の徳を形成するものとしての、政治教育(市民の形成)を強調する傾きと、同時にある種の実学としての経済教育(職業訓練)に傾く両方の特徴を併せ持っているのですが、そのふたつの関係はわりあいと別個のものとして考えられていたように思います。おそらく今日的課題としては、企業をはじめとした労働現場、つまり統治と経済(家政=従属)のロジックが支配する領域において、いわゆる政治的「市民」を成立させる論理(主体化=自律)はどのようなかたちを取りうるのかといったものなのでしょうが、そのあたりは最後のところで簡単に触れられるにとどまっていたように思います。
おそらくは現場の教員や、教員志望の学生を読者として想定したような本でしょうから、脚注が示しているように、短いスペースにかなりたくさんの論点を詰め込もうとすると、抽象的な議論の水準だとかえって難しいのかなという気もしますが。

ただちゃんと読んではないのですが、小文字で書かれた仏独米の事例はちょっと面白そうで、そのあたりから何か考えられそうな予感はしました。

社会科か、道徳か、という論点はつまり政治的主体がどのようなものであるのかということですが、少子高齢化がもうさすがに放置できない状況のなか、ブラック企業問題がホットなイシューになるなど、教育で「政治」をどう考えるか、という論点は、しばらく見えない/見ないことにしていたけど、さすがに考えないといけないよねという状況になっていくのであれば、それは一歩前進なのかなとは思います。

思ったよりも長くなった……。