ネグリの季節?

某O氏が、あれは読めるよ!と驚いていたので、じゃあと買ってみたら、編集の大村さんがわざわざ送っていただたところでした。そういうわけでなぜか同じ本が二冊になって、何かファンのようになってしまいましたが、まったくそういうことではありません。
この本はなかなか表紙がいいのですが、その他にも、筆者がMultitudesというフランスの雑誌に買いた原稿が日本語に直され、かつ当時の執筆経緯がそれぞれの冒頭に付されています。厚い本なので、まだ全部は読めてはいないのですが、かつてフランス語で読んだ論文を日本語で読みなおし、つい最近ではあるのですが、あの頃を懐かしく思い出しながら、いわば一種の裏話を知って、ああ、そういうことであったのかと納得したりもしています。たぶんそれは現在の日本の状況も関係しているのかもしれませんが。

存在論的政治: 反乱・主体化・階級闘争

存在論的政治: 反乱・主体化・階級闘争


おそらくこれは市田良彦ネグリ論なのであろうなという予感とともに、実際に目を通してみるとたしかにそうであって、かつて友人たちと読んだネグリを、近いうちにあらためて読み返すことになるのだろうなと確信めいた思いがわき上がってきた。
9月にまたアレントとつきあうことになるので、どこかでアレントとつきあわせながらの読書になるのだろうが、どのみちそれはアメリカを読み直すということにつながるのだろうと思う。