頂き物(教育さん週間?)『福祉国家と教育』

以前は一緒に会議室で夕飯を食ったり教育さんと仲良くしていたのですが、最近はそういうこともなくなり寂しい思いをしていたら、矢継ぎ早に教育学の本が。もっともこの書物の中で強調されている「比較教育社会史」というアプローチには、(なぜそこに境界線があるのだと門外漢の者からするとときどき不思議な気持ちにさせられた)これまでのスタイルを内側と外側――ここではもっぱら歴史学――の両方から開きましょうという志向がはっきりと表明されているのですが。(もちろんこのジャンル意識というか無意識は、教育学に限ったことではなくて、社会学にも政治学にもときおり感じることではあります。)
橋本伸也氏による近代国家成立(つまりは自由主義を出発点として結局は福祉国家の成立とその危機に至る)にかかわる諸論点について、かなり広範にわたる――ポリツァイの話から始まり、今日の教育改革にいたるまで――問題提起を受けて、比較的論点を絞ったかたちで、各研究者が近年の研究動向を踏まえてレスポンスを行うという体裁の論集です。
たしかにそこでは公共性と中間団体、人口管理、公教育と世俗化、救貧と社会福祉、そして福祉と教育、そして両者にまたがる性別役割の反映や、地方自治と財政との関係など、たしかに今日、わたしも含めた、ある種の人びと「共有された」問題関心というようなものが確認できます。
そうした個別研究からのアプローチを踏まえて、第三部で森直人さんをはじめとしたお三方によって、「いわゆる」教育学を外枠とすることを与件とすることなく、しかしや教育は(福祉―教育という領域に、ほとんど明快な分割線が引けないために)、福祉国家そしてポスト福祉国家のなかではある特権的な分析の対象となり得るものであることが、示されようとしているように拝見しました。もちろんもらったばかりでちゃんとは読めてないのですが。

たしかにフーコーって「ほとんど」教育さんだという感じはするのです(わりとちょっとdisられてましたが)。

おそらくエスピン=アンデルセンとともに、前半部分でその「(賃金)労働」との地位の変容という角度から福祉国家を理解しようとしたロベール・カステルの枠組みが利用されていることがわざわざ送っていただいたのであろうと思います。ありがとうございます。

しかしかつてのマルクス主義のような土台とまではいえないものの、わたしたちにはなにやら共有すべき視点、あるいは文脈のようなものが、この危機の時代においては、それが危機であるかぎりで、持ちうるのかもしれないというような感想を抱いたことも事実であります。

っていうか、もらったまま、読んでから感想書こうと思って、ここに書けていない本が何冊かあるのですが、読んでいるからこそ書いていないということなのであって、送ってくれたのにすみません。そのうち書きます。