補遺2

 二人の脳裏にはいまだかつての廃墟だった頃のイメージが強く残っていたので、突然目の前に現われた高層ビルが、まるで廃墟の地底から現出したような錯覚に陥ったのだ。
「凄いな。いつの間にこんなものができたんや」
 二人はしばらく林立する高層ビルを呆然と見上げていた。
「何やしらんけど、SFの世界に迷い込んだみたいや」
 金義夫は口をあんぐりと開けたまま、あとの言葉が続かなかった。
「まるで浦島太郎の心境や」
 と張有真が言った。
 右手には京橋と森ノ宮の間に新設された大阪城公園入り口があり、左手には巨大な亀の甲のような半円形の大阪城ホールが地面にどっしりと腰をすえていた。大理石とガラスと金属で組み立てられた高層ビル群が太陽の光を反射して二人には眩しく映った。石畳の広場は大阪城に通じており、川向こうに渡る橋がかかっていた。二人は見慣れぬ風景に戸惑いながら橋の方へ歩み寄った。橋の袂には「弁天橋」と刻まれていた。
「この橋に守衛小屋があったのかな」
 金義夫は目測で橋から環状線までの距離を測りながら、
「鉄橋からもっと離れていたような気がするけどなあ」
 としきりに首を傾げていた。
「この橋や。この橋に守衛小屋があったんや」
 首を傾げている金義夫に張有真が断定した。
「あの頃に比べたら川の水がだいぶきれいになったけど、まだかなり汚い」
川底からあぶくこそ浮き上がらないが悪臭を漂わせている。橋の欄干にもたれて、二人はようやく煙草をふかした。

夜を賭けて (幻冬舎文庫)

夜を賭けて (幻冬舎文庫)

これは梁石日『夜を賭けて』の終わり近く、アパッチ族であったふたりの青年が、年を経てふたたびかつて彼らが鉄を掘り出していた鉄の森林、旧砲兵工廠跡で再会したときの場面である。旧砲兵工廠はこの小説にあるように、現在では再(?)開発によって大阪城ホール大阪ビジネスパーク、そして森ノ宮の広大な操車場、都市公団の巨大な団地群へと変わった。
地図
大阪城ホールの完成が83年、ビジネスパークの建設も同年に着工されている。為替管理の自由化により資本移動が自由化が進み、日米の経常収支の「不均衡」(対米貿易黒字)がことにアメリカ側から問題視されるようになる時期である。1985年のプラザ合意後に進展した急激な円高対策として86年日銀は大規模な金融緩和(当時は公定歩合の引き下げ)を行ない、その年の末にはいわゆるバブル景気が始まることになる。ビジネスパークの中心TWIN21という一対の高層ビルが完成したのはこの年である。バブルを象徴するゴッホのひまわり落札は、早くもその翌年であった。

ぼくがはじめてこのTWIN21に行ったのはおそらくはまだ高校生の頃だった。このビルができるまで大阪を象徴するビルと言えば梅田にある丸ビルか、やはり梅田の阪急グランドビルだったのではないだろうか(31階建てのこのビルの27階から最上階までを占めている飲食店街が32番街という名前であるのは、あるいは階数を地下一階から数えていたからだろうか)。このTWIN21を入るとすぐに広がっていた吹き抜けの大きな空間(あるいは今となってはささやかなものなのかもしれないが)は、1976年に完成した丸ビルと翌年完成のグランドビルをたちまち時代遅れのものにしてしまった。低い天井の箱を上に積み上げただけのふたつのビルに比べるとずいぶんと垢抜けたものに見えたことを覚えている。

そういえばバブルとはは建築的にいえば吹き抜けがその象徴であった。

90年に松下IMPビルクリスタルタワーなどが竣工し、この「新都心」も事実上完成する。インターナショナル・マーケット・プレイスの頭文字をとったIMPビルには、たしか常設の見本市的な機能を期待されたはずのショッピングモールが開かれるはずであったが、89年に日経平均が最高値をつけた直後から、まるで坂を転げ落ちるように株価は安値を更新し続け、花と緑の博覧会が開かれたこの年、日経平均は早くも2万円を割り、バブルの崩壊はすでに誰の目にも明らかなものになっていた。「国際色豊かな」ショッピングモールにははやくもいくばくかの寂寥感すら漂いはじめていたことは生々しい記憶として残っている。ぼく自身最後にこのビジネスパークに行ってからはすでに10年近くが過ぎている。ビザの取得のために訪れたクリスタルタワーのフランス領事館もいまは一部機能を残して京都へと移転してしまった。

ただし後日談と呼ぶべきものは残っている。ひとつはもちろん東京に遅れて始まった都心部の大規模開発であり、梅田周辺はようやく80年代以来の老朽化したインフラを一新しつつある。もうひとつはやはり都心部での大規模集合住宅の開発である。それは現在進行形で大阪の風景を不可逆的かつ劇的に変えつつある。だがそうした波が梅田から環状線に沿ってこの旧砲兵工廠跡にまでようやく広がろうとしたとき、今度はアメリカのバブル崩壊がふたたび大阪の「開発」の足を挫いたようにも見える。

2009年から10年にかけて、日本の他の地域の人びとにはほとんど知られることもなく、大阪府庁の大阪南港の埋め立て地への移転計画が、ただ関西のメディアだけを席巻した。この計画によると府庁移転後の跡地には府立成人病センターがやはり移転することになっている。森ノ宮駅西側に隣接地であり、操車場と都市公団団地の道路を挟んだ向かいである。ふたたびの再開発がこの地を洗うことになるということでもある。あの話題はあるいはむしろこちらにフォーカスを当てるべき問題なのかもしれない。

そしてそれはまたしてもバブル崩壊のあとのことであった。

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