岸里、天神ノ森2

南大阪と天王寺を結ぶ上町線恵美須町を結ぶ阪堺線はちょうど阪神間がそうであるようにそれぞれが異なる階層の人びとが住む地域を結んでいる。『めし』の主人公である三千代が使っている天神ノ森の駅は、より貧しい地域を通っており、高級住宅地である彼女の叔父が住む帝塚山へは分岐点まで戻って引き返さないとこの路面電車を使っては行くことはできない。もちろん、すこし足を伸ばせば、いまはもう存在しない南海本線高野線の岸ノ里駅を使うことができたはずだ。南海電車の二本の路線が現在交差しているのは天下茶屋の駅であるが、当時は岸ノ里が乗換駅だったからだ。ただしこの岸ノ里という駅はいまはもう存在しない。この路線が高架化されたさい、隣駅の玉出駅と合わせて岸里玉出という駅にまとめられたからだ。現在、南海高野線は岸ノ里を過ぎると南海本線に合流し、ミナミの中心、難波へと至る。かつての高野線は岸ノ里から先をいわば切り離されてしまった。いまでは岸ノ里から先、汐見橋まで、事実上の支線として、時代から取り残されたようなたたずまいで存在している。

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路面電車の路線では、高台側と海側というかたちで交わることなくふたつに分けられていたこの地域は、南海電車ではX字に交わるかたちでつながれている。その交点であった岸ノ里から高野線に乗れば帝塚山へは一駅であり、たしかに小説でも難波からこの親戚の家に行くさいにはこの南海高野線が使われている。もっとも彼女の住む天神ノ森からであれば、おそらく電車に乗る必要はない。少し歩けば北畠であり、天下茶屋である。ここはあくまで中間地帯であり高級住宅街ではないが、貧民街でもない。いわばここはどちらにも属さない、いやどちらの世界ともつながっている中間地点なのだ。
いや、いまになって振り返ってみると、かつての高野線は大阪の過去と未来とをつないでいたのだ。北西に目を向ければ汐見橋線が延びている。岸ノ里から先、西天下茶屋、津守、木津川、芦原、汐見橋という駅の名前からもわかるように、埋め立てによってできたこの地域には工場地帯のなかに庶民的な商店街と住宅が広がっている。ちょうど大阪のある種のステレオタイプなイメージといってもいい。そういえば双子の女性(ひとりは将棋指しになる)を主人公にしたNHKの朝の連続ドラマの舞台となったのがこの西天下茶屋であったはずだ(この西天下茶屋と新世界がひとまとまりのように扱われるのは、いささか不自然でもある)。つまり商業の大阪と工業の大阪が大阪にはあり、西天下茶屋から汐見橋に向かうこの路線ははっきりと工業の大阪を代表している。ちなみ現在この汐見橋の駅からすこし歩いて阪神桜川駅に乗り換えれば、西九条、そして西淀を経て尼崎へと続いている。南海本線を南に向かえば、住之江から堺へと至る、やはり葦原を埋め立てて作られた重化学工業地帯が広がっている。工業の大阪、庶民の大阪でもあれば、公明党共産党の大阪でもある(あった?)。
初之輔と三千代がいた天下茶屋から天神の森、岸里といったあたりは、文字通り交差点である。商業の大阪、難波や千日前、新世界から帝塚山へと至る大阪は、商売人の大阪、すでに進行していた阪神間と東京への人口と富と、文化の流出によって消えゆく大阪であり、高台とそれを見上げる貧民の大阪である。いっぽうこの夫婦の目に入っていない、脇役として存在しながらしかし、背景にとけ込んでしまっている「大阪」は、工業を中心とした埋め立て地の大阪であり、これからしばしのあいだ、はかない繁栄を迎える新しい大阪である。東京から都落ちしてきた若夫婦の目の前に広がっていたのは、ふたつの世界が入り交じる曖昧な空間である。すでに朝鮮戦争は始まっており、製造業を中心とした新しい大阪には朝鮮半島で流された血で購われた新たな時代の繁栄が訪れつつある。初之輔が勤める北浜の株屋にはたしかにいまだその繁栄の余波は訪れてはいない。しかし大阪が工業の大阪として成長の波に乗るならば、この北浜も株屋も証券会社としてその成長の果実を分け合うことになるだろう。
だがそれはもう少し先の話である。この段階ではふたりの未来がどちらのほうを向いているのかは判らない。姪の里子に言い寄っては、すげなくあしらわれる長屋の無職の青年はおそらくは新しい大阪を支える工場労働者にその職を見いだすだろう。東京から来た夫婦はどうだったろうか。もう少し東側の住宅地帯へと階層の上昇を果たしただろうか。あるいは10年を待たずして始まるニュータウンの開発を待って、北摂へと向かっただろうか。
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だが不安と可能性に満ちたこの興味深い大阪は残念ながら描かれることはなかった。『めし』が始まってすぐに観光が始まる。東京から家出してきた主人公の初之輔の姪、里子を案内するためだ。

ここから、少し参りますと、その名も優しい蜆川や、蜆橋のあったところでございます。近松門左衛門の、心中天の網島に、小春治兵衛の、涙川として、死の道行きに、艶名をうたわれました、名高いところでございます。

だが、すでに蜆川は埋め立てられ、「今は、その面影さえも」ない。近松の物語から道頓堀とジャンジャン横町という観光地を過ぎれば、いずれ物語そのものが東京の郊外へと舞台を移してしまうだろう。天神ノ森も岸里天下茶屋も、この物語からは見捨てられ、記憶を喚起する力を手にすることもないまま、現実の世界でもそのつかの間の繁栄からいつしかとりのこされてゆく