いかにも

団地の台所に張ってありそうな、たしか黄緑色の化学素材のシートが貼られた床の上に、精も根も尽き果てたといった体の下バーバがぺたりと座り込んでいる。引越を明日に控え、きっと無理をしているだろうから様子を見に行こうかと、階下の部屋のドアを開けると、そこにあったのは予想通りの光景だった。ぼくらの横にいるSOPの姿を見つけても、下バーバの頬はさすがにゆるまない。綺麗に整頓されていたとはいえ、タンスや引き出しの奥を引っ張り出せば、まだ使おうと思えば使えるけれど、とはいえ使おうとはあまり思わないようなものが、大量に出てくる。「不要なもの」は残してゆけば、あとから整理してくれるはずなのだけれど、それを「不要」なものだと断じるには、下バーバの生活はあまりに過不足なく整理されたものだったのだろう。引越のコツはあとで後悔することになっても買うことのできるものはさっさと捨ててしまうことなのだろうが、すくなくともいまの下バーバには、そうした割り切った物の分別はやはり困難な作業だったようだ。
調味料から始まって、新たに入居するホームに持ってはいけないけれど、しかしまだ使えなくもないという、そうした引越のときに決まって出てくる品々を、とりあえずぼくたちがもらったことにして段ボールに詰めていく。いつものピシャリとした物言いも影を潜め、気弱な老人の姿が現れている。そうした作業を続けるあいだにも、つぎつぎと近所の人がやってくる。挨拶をする人。欲しいものがあれば持っていってと言われる前に持って行こうとして、それは駄目と言われる人(「あの人にはあげたくないの、いやなのよ」)。mayakovは話を聞きながら、仕分けを手伝い、ぼくはできた段ボールの箱をとりあえず僕らの部屋に運んで、下バーバの視界からものを少なくしてゆく。お孫さんがくる。いつもそうだけれど、どこか疲れたような空気を身にまとっている。そしてまたいつものように、その疲れが染み出すような口調で下バーバに何か説得するように話しかけている。下バーバもさすがに抵抗したがたいという感じで、とりあえず耳を傾けている風情だ。お菓子をもらったりしていた、「坊や」もさすがに腰が落ち着かなくなってきた。

翌日、学校から家に帰るともう下バーバはいなくなっていた。しばらくは下バーバの部屋に電気がともり、ものが運び出されたりしていた。どうやらときどきやってきていた娘さんのSさんが入っていた団体のひとたちがいろいろと最後の始末をしていたようだ。けれど、いつしか下の部屋に電気がともることはなくなり、思ったよりも長い間残っていたいろいろな「使えるもの」も、収集車が団地を回るたびに減っていった。落ち着いたら、顔を見せに行く約束で、mayakovは下バーバが入居するはずのホームの住所をもらっていたが、tomosaの出産と重なったせいで、それは年明けまで延期となった。春になってSOPは幼稚園に行くようになり、喉の調子も少し落ち着いた頃、ホームの住所に宛てて書いた、tomosaとSOPの写真を印刷した葉書が、宛先人不明で返されてきた。mayakovによるとどうやら早々とホームを移ったようで、ホームに問い合わせても行き先は分からないという。
下バーバが住んでいた階下の部屋にもいまはもう新しい住人が入っている。共有階段の掃除もじょじょに行き届かなくなってきた。SOPはもう下バーバのことをあまりよくは覚えていない。そして「あまり使っていなかった」というテフロン加工のフライパンが、ほとんど唯一の名残をこの部屋にとどめている。