前回のYoutube

のクリップは、Cat Powerだった。

いかにもフランスの音楽番組らしい、垢抜けない感じがなんとも懐かしい。

こっちはBBCなんだけど、なぜだかルーブルの横で売ってそうなシャツを着ている。なんかもうチチとかは見せてもいいんだろうな。

こっちが元ネタ。さすがに年を取ってから歌ってるのでそれなりにうまい。

しかしCat Power(Chan Marshall)は13ぐらいですでにドラッグをバリバリやってたみたいだが、しかしこういう文化はいまはもう日本にはあんまりない。すくなくともメジャーな世界ではあまり見えないようになっている。
近いものを探すと、なぜかノリピーになってしまう。べつにいいとか、悪いとかじゃなくて、違うよねえ。80年代ぐらいまではあったような気がするんだけどねえ。いや80年代に急速になにかがきえていったのかなあ。(あるいは亀田三兄弟とか、そういうパッケージならある。なにかが違う。タコ焼き文化以外のものを許してもらえないとでも言えばいいか。もう少し多様だと思うんだけどね。自分自身の実感としては。)

そういえばWinona Ryderもそういう文化のひとだよなあ。要するに、ヒッピー文化なんだけど、なんで根付かなかったんだろう。こんなにアングロ=サクソン文化が好きなのに。女優さんのポジションとしても、日本ではこういうポジションないような気がするなあ。アングラ的なものが多少そういうものに近かった気もするけど、それもほぼ消えつつあるしな。

なんかアングロ=サクソン文化の徹底性みたいなものなのかな。
この女性のブログを見ていると、たしかにどうもなにかこの国の文化とはすこし性格の違う徹底性のようなものは(これはイギリスだけれど)あるような印象は受ける(屑みたいな本ばかりなんだから、さっさとこの本を復刊して欲しい。文章がふつうにうまい。)。階級の上と下とが奇妙に混合し、またそれが芸能という世界に現れ、しかもマスもマス、メジャーもメジャーな世界に現れてなおかつ、糸井重里の西武のような、白々しくも脱色され、脱臭された商品にパッケージされきってしまわない(糸井重里以前の西武文化は、じつはアングラ的なものがけっこう色濃く残ってるんだよな)。なにか復讐なのか憎悪なのか、そこだけ神経質に消した感じすらする。べつにいいとか悪いではなくて(いや糸井重里所ジョージ的なものはぼく個人としてはひどく退屈だけど。結局タモリとそれほど違うものではなかったという意味で)。たんに、ああ、違うなあ、ということ(もっとも、だからこその、いまになっての辻井喬糸井重里への低評価ないしは、一定の留保なのかもしれない)。昔はこの国にも、もう少し近い何かは、メジャーなメディアでも見ることはできたような気がするのだけれど。

もちろんメディアで露出させないだけで、そういう世界がないわけではないと思うんだけど・・・・。一種の女性恐怖なのかな。