まあ大阪に

文化施設などいらないのではないか、という皮肉というか、皮肉でも何でもなくたんなる現実なのだが、まあそんなことを書いたわけだが、たまたま立ち読みしていてなかなか面白かったので思わず買って読んでしまったのは
『大航海』のno.68
「美術館 その絶頂と奈落」と題された、現大阪国立国際美術館長、建畠哲氏へのインタビューだ。80年代特集ということで美術評論や、学芸員(キュレーター)など、制度としての美術館や、その周辺事情が語られている。

大阪の人にはいわずもがなだが、この国立国際美術館も、今はマシになったが(それでもちょっとあれだ)、非常に不便な場所にあった吹田の万博跡地にあった美術館のあとをうけた施設で、その意味では児童文学館と事情は似たようなもの。(ちなみに最初日本語名を見て、National International Art Museumとでもするのかよ!と思ったらThe National Museum of Artだった。残念!) もちろんこちらは国立なので、児童文学館よりはましな運命を辿ったのだが、それでも先行きは必ずしも明るくない。バブルの真っ最中、倍々ゲームで予算が増えてゆく時代を経て、現在は公立美術館の購入予算が軒並みカットされ、自治体のうち8,9割は購入予算ゼロなど、当然と言えば当然だが、笑うに笑えない状況が語られている。しかも、そこに予算削減のための指定管理者制度というやつが導入され、目も当てられないことになっている。

いや、こういうメンテにお金をかけないということは、それだけ、大卒の職が減るということなのだけれど、うーん。なぜみなそれで拍手喝采なのかはよくわからない。アートだかなんだかしらねえが、チャラチャラしやがって、そんな金があるなら箱物作る方に回せ!というのは理屈としてはわかるけれど。

こういう状況をどう考えるかという点については、すっぱりと文化国家になることを諦めるという選択がある。ちょいと海外旅行でもして、先進国の地方都市の文化施設がどういうレベルかを見てみてもよいと思うのだが、まあ日本の美術界そのものが、韓国中国などと比較しても鎖国状態であったりして、なんというか日本のブルジョワはだめだったんだなあ、という感じではある。(「これはぼく、初めての経験ですね。海外の情報が入ってこない。海外からパスされ、日本人も海外に関心を持たなくなっている。」)

そのほかにも、いろいろな立場で仕事をした人なのでたぶんに被害者意識が強いであろう学芸員の権力性などの指摘もあったりして、断片的でまとまってはいないけれど、そのぶんあれこれの事情が伺えて、心にとめておいてよい現場の状況が語られていると思う。



たぶん左翼憎けりゃ袈裟まで憎いみたいなことだったのだろうけど、保守(?使いにくくなったなこの言葉も)の人たちに、ときどき変な反知性主義のひとがいるのは、紀州の漁村から出てきたようなぼくにとっては、ねえ、ほんとにほんとにどうなるか知ってる? ちゃんと根性もあれば、器量もある? あんたたちみたいなタイプ、最初にやられちゃうよ、という感じで拗ねたボンボンは中途半端でよろしくないという感じなのだ。