バルバラ異界

バルバラ異界を再読。たいした構想力だとあらためて感嘆。しばらく前にSOPが生まれて、孤独のなんたるかを知ったということを書いた。それは有り体に言うと子供は未来に生きているということだった。つまり現在の地平と未来の地平はおそらく直接にはつながっていないということだ。で、読み直すとそのことはここに書いてあった。
このバルバラ異界では二つの地平をつなぐものは、夢であり、もうひとつは郵便で送られる書物だ。結局、(少なくとも理論としては)ユングも(そしてますますフロイトさえも)信じることのできないわたしたちにとっては、そうすると書物だけが、かろうじてこのふたつの地平をつないでくれる媒介となる(それがグールドの『個体発生と系統発生』であるべきかどうか、疑問なしとはしないが)。

バルバラ異界 (1) (flowers comics)

バルバラ異界 (1) (flowers comics)


あと読み直して気がついたのは女性にたいする描写の細かさ(意地悪視線)に比べると、男性の描写は甘いともいえるし、気が抜けているともいえる。それもまた少女漫画か。

相変わらず本を買うのは古書店(天牛)の均一コーナー。ドラッカー『傍観者の時代』を500円で見つけたので買う。上田惇生訳で『ドラッカーわが軌跡』と題された「新訳」の旧版である。箱入りで、どうやら予約販売分の付録だったらしい日本画についてのエッセイが別冊付録としてついていたので買ったのだが、学校に持ってきてぱらぱらしたとき、違和感を感じた。
 そう「新訳」はずいぶんと大きな活字で空白をたっぷり取った350ページほどの本なのだが、「旧訳」は小さ目の活字がつまった520ページの本だったのだ・・・まあふつうに考えると一言あってしかるべきであろうと思うのだけれど、新訳にはいっさいそのあたりの事情説明はない。ちなみにダイヤモンド社という会社から出ている。あらたに「ドラッカー名著集」と名打った版が出ているけれど、どちらが底本なのでしょうね。ちなみにアマゾンの情報によると384ページ。こちらのほうには事情説明はあるのかしら。
現代日本のサラリーマンにはそれでよいということであれば、まあ見識といえば見識。ドラッカー自身、自分は「物書き」であると述べているわけですが。
ただ両方読んだ立場からすると読むならこっちでしょうね。
傍観者の時代―わが20世紀の光と影 (1979年)

傍観者の時代―わが20世紀の光と影 (1979年)