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ワイドショーと朝日岩波(丸山真男を殴りたい?)。おめでとう>論座。
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承認の場所としてメディアがあり、そのためには殺人という行為がもっとも適切であると思われたということ。さらにほとんどすべてのメディア、そして影響力のもっとも強いテレビ(そしてワイドショーなるもの)が、いつの間にか敗戦直後のカストリ雑誌と化していたということ。自浄作用が求めながらもそれはなされずにむしろ悪化してきていること。この点にかんしてそれゆえ制度設計の誤りとしか解釈できないこと。
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事件自体はあらかじめ想像可能なもの。ある意味ではあまりにもそのまま実現されていることに驚く。そして、それは多くの人がいつか(確率の問題として)このような事件が起こるだろうと想像していたはずのものではなかったのか。
つまりこういう無慈悲かつ無意味なリスクを容認するということが、すくなくともある時点までの日本社会の政治とマスコミの総意(痛みを伴うコウゾウカイカク)であると思っていたので、今更ながらのおためごかしに、それがいくらか本気に見えるという点には、正直意外の念を覚える。政治家はともかくマスコミもたんに想像力に欠ける馬鹿だったのか?
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メディアは世論を代表し(議会)、ときに民衆を教導し(教師)、犯罪を摘発し(警察)、社会の病理、寄生虫を摘出する(医者)。そしてもちろん法に代わって正義を執行する。あなたの産んだ子供なのですよ。親としての教育はどうだったのですか。責任は感じませんか。
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ただしよくテレビのワイドショーで使われる言葉を用いると、「スベテガばーちゃるりありてぃノ世界ノ出来事ノヨウデスネ」。
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犯罪者であり病であるもの、社会の寄生虫であるものは、かつてはユダヤ人であったろうし、現在は公務員だ。ああ、あなたが善良なひとであるということは、わかっていますまよヤコブさん。しかし問題はですね、あなたではなくて、ユダヤ人なのですよ。あなた個人がこのように苦しんでいるということは、わたしだって隣人として心苦しいものがあるんですよ。しかしこの社会が浄化されるにはですね、やはり・・・そういえば、ところであなたタクシーで帰るときに、ビールとかもらってないですよね。ええ、大事な問題なのですよ。これは。
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ところで、あなたに隣人はおりますか。さいきん会話はなさいましたか。
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メディアに隣人はあるのでしょうか。メディアの傍らにはメディアしかないのでないでしょうか。メディアとは何なのでしょうか。その仕事は何なのでしょうか。
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アルチュセールやフーコーの言っていることが正しいとすれば(間違っているかもしれない)、ゲッペルスがメディアを利用し、人びとを扇動した、という言い方は不適切だということになる。つまりメディアがナチとゲッペルスを選んだという言い方がより適切だといことになる。そういう意味でファシズムとはメディアのことである、という考えにいまは傾いている。殴られた丸山はまさにそこに(日本型)ファシズムをみたのだったか。
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ナチやファシズムとは闘わねばならないのですか。公僕としては、わたしはもう疲れてしまいました。そんな大きな敵とはもう闘えません。頑張ってくれ>マスコミの人。給料が高すぎるなんてもういいませんから。