王様開放感に浸るの巻

とりあえず昨日をもって、最後の学年が終了。30になる年に働き始めて、ちょうど40になった年に最後の学年を送り出す。すこし心残りな気分もする一方、これいじょうだらだらやるとたぶん惰性になるなという予感もあったりして、ちょうどよい節目なのかなと思う。打ち上げをやって家に帰ると、われながら驚くほどの解放感。なんとなく給料分は働いたと、ほぼ100%の実感として感じられる。たった4年間、しかも子供とはいえない相手を対象としているにもかかわらず、やはり人間さんを預かるというのはそれなりにプレッシャーがかかることであったのだなあとつくづくそう思う。貸しはあっても借りはないという気分すらするのは、いくらか言い過ぎなのかもしれないけれど、今夜一晩、あるいは今週、できれば今月せめて3月いっぱいくらいは言わせてもらってもバチは当たらないかな、とも思う。まあやれることはやれたということなのでしょう。やるべきことはやれたかどうかは別として。

だからといって次の十年を自分と自分の家族だけのために費やせるかどうかは、こればかりはよく分からないのだけれど。なんというかそういう厄介なことから免除された、というのは気分的にずいぶんと楽になった。まあしかしそれもいちおうであれ送り出した学生さんが、それぞれに違いはあっても、それなりに自己の器量の範囲でそれなりにやっていけそうな雰囲気を漂わせていたことによること大であって、その意味ではまことに有難いという気分でもある。なとなく状況がソーシャルとはなんぞやというようなことを言わねばならないのかな、という感じもするのでそんなことも言ってみたりはするのだけれど、気分的にはat your own riskでやっていただければそれに越したことはない、というのが、どうも性に合っているような気もするので(まあそれは誰でもそうか)、今夜一晩ぐらいは、あとはみなさん自己責任でお願いしますとついポロリと口から本音が漏れてしまう。が、それもこれもそう言っても大丈夫かな、という安心のなせるわざなのであれば、助けてもらったのはむしろこちらの側なのであろう。
学生さんの相手としては、基本的にはあとは講義をしてればいいというのは、物足りなくもあるのかしらんと、一昨日までは思っていたけれど、これほど気が楽になるのであれば、たぶん個人の人生としてはよかったのだろうなあ、とつくづくそのような実感。
しかし生活の不安という点を別にすれば、まあ仕事というか責任のあるなしということでいえば、ひとつ肩の荷が下りた感じがするので、この仕事が明日なくなったとしても、まああまり思い残すことはなし。今のところ。いや生活が立ちゆかなくなるのは困るので、クビとか言われると、それはそれとしてしがみつかねばならないのですが。

打ち上げは、南田辺の「桃ヶ池2丁目+」というお店。これからのお店だけれど、志はほの見えるよいお店。またいちどみんなで行きましょう。>大阪在住のひと。

しまった! 明日は朝一だった。やべえ。