引っ越しの

あいだ、少しは小説でも読んでみようと思って、寄り道して駅の本屋に行くと今年の芥川賞作品がでていたので、われながらおっさんだとは思ったが、芥川賞でも買ってみるかと思って、青山和恵の『ひとり日和』というのを買って読んでみたら、上手ですらすら読めるので感心した。ところどころで甘い感じもしたのだが、これは意外に「いい」と思って、すすめたりしてみたのだが、この間、しばしなぜいいと思ったのか考え直してみたら、この主人公は都合が「いい」なあ、という意味で「いい」と思っていたのに気がついて我ながらがっくりして、反省した。『負け犬の遠吠え』に近いかもしれない。

おっさん化はどうも不可逆的な過程のようだ。

ずいぶんと前に大道珠貴の『裸』というのを買って読まずに放っておいたら、先にmayakovに読まれてしまい、そうなるとなんだかもういいような気がして読まないまま放っておいたのだが、学校に行く途中で天牛の350円均一コーナーに芥川賞受賞という宣伝のついた帯を見つけて、思わず表題を見ると、やはり同じ作者の『しょっぱいドライブ』だった。青山和恵だったら大道珠貴のほうがいいとmayakovが言ってたこともあり、なにかの縁かと思って買うことした。まだ全部は読んではいないけれど、最初の短編を読んだ読後感は、ほんとうにしょっぱい、というものだった。全体としては本当にしょっぱいのだが、細かいところで何カ所か、変なところが見えていておかしい。

これでもかというくらいの暗さが、わたしをとりまいている。
呆然としている。
なのに九十九さんは、上機嫌だ。時代遅れのネクタイを何本か集め、それでつくったというチョッキを着ている。また、わたしたちはドライブしているのだ。海を見ているのだ。

というところには、行き帰りの電車のなかで読んでいるのだが、思わず声に出して笑ってしまった。

少し前にたまたまテレビをつけると村上龍が中小企業のおじさんのサクセス・ストーリーを紹介するといういかにも村上龍的な番組に出ていたのだが、久しぶりにテレビで見た姿は、なにか急にしぼんでしまったような感じで、こっちも相応に年を取ったわけだから当たり前なのだが、おじいさんになっていてちょっとびっくりした。そのことが記憶に残っていたせいだろうか、それとも青山和恵の本の帯に、久しぶりに名前を見たせいだろうか、ふと思いついて頭の中で村上龍にネクタイで作ったチョッキを着せてみたら意外に似合いそうな気がして、ちょっとした発見をしたような気分になった。ついでだ石原慎太郎にも着せてみようと思ったけれど、最近テレビをちゃんと見ないせいか、顔や姿が思い出せず、着せてみることはできなかった。仕方がないので似たような有名人をと考えたら、同じような番組をやっていたからか茂木健一郎の顔が浮かんだので着せてみたら、これは似合うという気がした。なにか法則があるのかもしれないと思って、養老たけしに着せてみたらやはり似合った。新田次郎の息子でやっぱりベストセラーを書いた藤原なんとかに着せてみようとしたら、こっちは顔が思い出せなかった。まるこい人に似合うのだろうかと思って朝青龍に着せてみたが色が白いせいかこれは似合わなかった。
ふと不安になって自分に着せてみたら、多分似合わないような気がしてほっとしたが、自分の等身大の姿というのは案外わからないものだから、ひょっとしたら似合ってしまうかもしれない。

いつもはSOPといっしょだから、今日は久しぶりにひとりで風呂に入ったせいか、馬鹿な空想で時間をつぶしてしまった。風呂の中で同じ本の中にある「富士額」というのを読んだら、お相撲さんの大銀杏をじろじろ観察するところがあって、ひとしきり髪の形を説明した後で、「おれは下っ端だって卑下するけど、こんなふうにちゃんと床山さんとやらに結ってもらっとうやん。いいやん。と、イヅミは内心、褒めていた。」という感想に続く文章は、こういう風には書かないなあと思うのでへえと思う。イヅミは中学二年生なのだが女子は中二ぐらいでもうこんなことを考えられるんだろうか。

そういえば2〜3日前、少し遅めの昼飯を食べようと思って、学校近くの喫茶店に入ろうとしたら、相撲取りの黒海が店から出てきて、煙草はどこで買えますかと聞かれたのだが煙草は吸わないので教えてあげることはできなかった。中に入ってカレーを注文したら、黒海が煙草を買って戻ってきた。注文したのは大盛りのカレーだったのだが、なんかサービスしてくれたのか、すみません入れすぎましたと言いながら、お皿からあふれそうなカレーを持ってきた。思わずおおと声をあげると、黒海とその友達のたぶん旧ソヴィエトかその近くの出身のこれもどこかで見たことのあるようなお相撲さんも、二人してまじまじとそのカレーを見ていた。