明日の

準備をしないといけない。明日でいちおうおしまいなので、けりを付けないといけないのだ。けれど体がしんどくて集中力が戻ってこないので、届いた本をぱらぱら見る。Jonathan LittellのLes bienveillantesはちょっとアレなので、Francois CussetのFrench Theoryの関係ありそうなところをぱらぱら。

昔大学の偉いひとと話をしたさいに、そのひとは大学を駅前のビルに持ってゆくような話があって怪しからんと息巻いていた。彼に言わせれば、あんなうるさいところで勉強などできるか、ということだった。こっちは馬鹿みたいにでかいお墓の隣にいるよりは、絶対街中のほうがいいと思っていたので、移転の話を取り合おうとしないのは変だといって意見が一致しなかった。あんなうるさいところでなければ勉強なんかできるか、というのがこっちの意見。
しかし考えてみれば彼だって学生時代は街中の大学にいたはずだし、パリなんかだと街中のどう見ても普通の建物が大学だったりする。彼はドイツの哲学が専門なのだが、ドイツだって同じようなものだろう。そもそも大学の成立の仕方を考えればそれ以外の可能性は少ない。

ただ、French Theoryを読んでいると、アメリカの大学の特殊性として、文字通り大学の社会からの距離を説明するものとして、いくつかの例外(だいたいは有名校)を除いて、都市から隔離された場所に設置されていることが指摘されていた。「19世紀的な田園神話」というようなことをCussetは書いているが、町はずれ、森のきわの田園地帯にぬっとあらわれるキャンパスというやつだ。(イギリスの某超有名大学はどうだというような話はあるが、あれはあれで大学が町を飲み込んでしまって、建物と町と人間との関係はやはり都市と大学のつながりの存在を前提しているような気がする。)筑波が典型的な例なのだろうが、たしかに日本人の大学キャンパスというものについての想像力は、一時期この田園神話におかされていたように思う。
もっとも、戦後のベビーブーム後に新設された大学はパリでもちょっとこういう(行ったことはないのだがおそらく)筑波っぽい感じがしないわけではなく、リオタールなどというひとがいたナンテールだとか、ヴァンセンヌだとかは都市生活とのつながりは希薄である。

じつはリオタールについて確認しておこうと思ってこの本を注文したのだが、あまり有益な情報は得られなかった。アメリカではポストモダンの理論家ということになっているがほんとうは芸術批評のひとなのに無視されているのは残念だというようなことを言っておきながら、この本の中でも、リオタールが出てくるところは、ほとんど「デリダフーコー、リオタール」とか、「ドゥルーズや、デリダや、リオタールといったひとは」というように、刺身のつまみたいに扱われていてちょっとかわいそうだ。(たしかにそんなにカシコクはないけれど・・おっと!)

ただ、ちょっと面白かったのは、こういう「French Theory」というのは、Cussetもいうようにウィルソンだとかトリリング(例外的にポストを得たが)だとか、『パルチザン・レヴュー』や、のちには『ニューヨーカー』だとかに書いていたような、大学の外の(ニューヨークに集った)批評家たちの空白を埋めるべく招き入れられたのではないか、という仮説には頷くところがある。(ただしこのふたつの雑誌は一緒にはできないのは、『パルチザン・レヴュー』に書いていたような書き手にとって『ニューヨーカー』なんかに軽い読み物を書くことは、資本主義の文学の商品化に荷担することではないかという忸怩たる思いなしにはいられない行為だったようだ。この述懐を誰が書いていたのか忘れたが。)

こういう観点からすると、立場的にリオタールというひとはもうちょっとうまく立ち回れても良さそうなものだが、ただ、たしかにリオタールというひとは、論理的にものを考える能力に恵まれていないのか、うかつにものを書きすぎるのか、ちょっと待て、という記述が多くて、フランス語はうまいのかもしれないが、言語の壁を越えられないタイプの書き手なのかもしれない。外国語に直すとたしかに骨格以外のものは伝わりにくい。
しかもかわいそうなことに唯一詳しく扱われている『ポストモダンの条件』がらみの話も、リオタールはポストモダンの理論家だと思われているが、もともとはアメリカの文芸批評家、イハーブ・ハッサンの発明なのだ、とか書かれていて、踏んだり蹴ったりの感じもある。じっさい『ポストモダンの条件』にはハッサンの名前も出てくるし、Charles Jencksがそう書いているから、そういう風な広まり方をしているのかもしれないが、このポストモダン、ハッサン発明説は怪しいと思う。68年に出ているエチオーニの『アクティヴ・ソサイエティ』という本にすでにポストモダンという単語が使われているからだ。(あるいは68年以前にすでにハッサンが論文などで使っているのだろうか。それにしても71年のThe DIsmembrement of Orpheusという本がよく挙げられるのだが、ポストモダンという単語は副題以外にほとんど出てこないし、中身を見ても、その後のいわゆる「ポストモダン」と称する形容詞にはそぐわないことはなはだしい。いやリオタール自身がちゃんと微妙な書き方をしているのだ。何故微妙かというと・・・)

そもそもこのポストーという接頭語はすでに50年代から使われている。言うまでもないけれど、ポスト工業化という単語のなかだ。いまやコミュノタリアンで政治学者だと思われているエチオーニだがもともとは社会学者(というか組織論)のひとであって、エチオーニはこのポストモダンという単語をただしく脱工業化社会の意味で使っている。つまり第三次産業の増大であり、消費社会の到来の意味でだ。この言葉はしかもダニエル・ベルに言わせれば、ギルド社会主義まで遡れるそうだから、そのあまりの意外性のなさにガックリとするほどだ。つまりアルターナティヴな社会主義運動というか、反主流派左翼の伝統を引きずることを運命づけられていた単語であると言っていい。それにしてもモリスとかラスキンですよ。68年の実験の行き着く先を予告しているといえばあまりにあまりで、それってどうよ。(おお美しきこの田園都市!)

そしてこのリオタールの本もまんまこの脱工業化社会の話以外のなにものでもなくて、だいたいポストという言葉を嫌って、真性(独逸系?)左翼の理論家は後期late-capitalismeという言葉を使い続けることからもわかるように、この脱工業化社会というビジョンは、政治的にはいささか微妙な煮え切らない立場を示唆することが多い。要するに資本論の分析の限界を指摘しましょう、という話になるからだ。第二次産業? 産業革命はいつだと思ってらっしゃる。だってもうプロレタリアートなんていませんでしょう? 世の中はサラリーマンによる中産階級の時代でますのよ、パンの時代ではありませんのよ、ケーキを食べてはいかが?ということだ。

(ちょっと元気が出てきたので明日の準備に復帰。まだ続く)