ダニエル・ベルは

マルクス主義の政治的側面についての徹底的な批判者であると考えられてきたし、事実そうであったのは、アメリカの社会主義運動の失墜を分析するなかで、たとえばウェーバー責任倫理と心情倫理という対立軸でかんがえると、マルクス主義にせよ社会主義にせよ、それが典型的に後者の側に属するものであって、そのかぎりで社会の内部での具体的問題の漸進的解決を志向するよりも、世界についての変革を優先する、millenarianの後継者であるとする批判が、すくなくとも当時のアメリカの労働運動社会主義者共産主義者に限って考えれば一定程度妥当するものだったからだろう。

だがいっぽうでマルクス主義的な経済分析の限界を指摘する際に彼が依拠したのは、いわゆる脱工業化、第二次産業から、第三次産業(サーヴィス産業であり、知識集約型産業でもある)への転換という産業構造といってもいいし、サプライサイドといってもいいが、その変化に重点を置いた分析にもとづいており、しかも彼の書物を子細に読むと分かるように、そうした分析そのものが、マルクス主義的な語彙を換骨奪胎することで組み立てられていたものであることのほうが、いまとなってみるとむしろ印象に残る。

この脱工業化社会への変化、というヴィジョンは、とりわけ経企庁などに依ったエコノミストらの関心を強く引き、所得倍増計画以降の経済計画のバックボーンヒントとなっていただけではなく、たとえば現在でも小沢一郎やなんとか諮問委員会に至るいわゆる「改造」ものにまでそのアイディアを見いだすことが可能である。下村宏や宮沢喜一のこのへんの政策への距離感は、こうした整理をしてしまうと、当然のことのような気もしてくる。

吉川洋氏の立ち位置のわかりにくさというのは、この辺に関係しているが、まあマネタリーなものへの距離として考えればいくらか整理は可能か。民間設備投資を重視する下村理論というのも、わりあいとクラシックなもののようだし。

ただ現在の状況は二重に皮肉な印象を否めない。

日本と少し似たような感じはアメリカでも起こったのだろうか、フランシス・フクヤマの本などにベルをネオコンの元祖のように書いてある。じっさい、抽象表現主義パトロンでもあった文化自由会議にまで参加して尽力してしまっているわけで、たしかにそういうきな臭さはたとえばフランスで言えば、レイモン・アロンやフュレがCIAから援助を受けていたとかという話にもなる。彼らはいわばアメリカの友人であったわけだから当然といえば当然なのだが、まあガレオア資金基金フルブライト奨学金も大きく言えばそのへんに連なってしまうから、あんまりスパイ小説もどきにしてしまうのも、多少の留保は必要かと思うが、政治は政治だ。学者も画家も偉くなるには金次第という側面は否定しがたいが、毒もあると考えるほうが大人だろう。日本だって経産省お声掛かりのスーパー・フラットだし、そのへんの人間関係もここで書いたようなコンテクストと矛盾はしないのはまあ同じような事情というか「構造的」要因なんだろう。

しかしベルが興味深いのは、たとえば文化理論の背景がグリーンバーグだったり、転向(?)左翼とはいえ、多少のニュアンスはあるところと、社会主義者として、あるいは共産主義者として、はたまたアナーキストとしてアメリカの労働運動を支えた、その親の世代との関係であって、Irving Howeの本などをきっちり読んでみたいと思ったり、少し前にうのちんが書いていたバウマンも社会主義国ポーランドの亡命者でありまた・・・といった奇妙な符合はおそらくそれこそ「構造的要因」ではないのかなどと思ったりしながらも、もはやそういう多少なりとも学問的なことがらとは、ほど遠いところで今年も暮れる。

World Of Our Fathers

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今年は勉強ができなかった・・・。