神戸

にmayakovとSOPを迎えに行く、迎えに行くと言っても、結果的には一家まとめて車で送ってもらうので迎えに行ってるんだか荷物を増やしているんだかわからない。
昨晩はmayakovママのいいわけ話を聞く。mayakovママはmayakovとの電話連絡をしないといけない時間に大学の同級生と同窓会の話で一時間ぐらい盛り上がってしまったらしく、ずいぶん怒られてしまったので、なぜかぼくにいいわけをしていたのだが、しているうちに、内容はほとんど同窓会の話になった。あんまり世界が違うので、というよりはもう(おそらく関西にはもうfakeとしてしか)存在しない世界なので面白い。
ある同級生がその出身大学の重要なポストに戻ってきたときは、mayakovママが同窓会の仕切りだったので、大変盛り上がっていたが、そのイベントが終わって気が抜けてしまったのと、介護のことが気が重くて行きたくないらしい。人によってはそういう機会に憂さを晴らしたいというひともいるのだろうが、逆にそういうことを持ち込みたくないようだ。電話が延びたのも、まあ同窓会においでよ、行かない、あんたが行かないなら私はどうしようかというような、おそらく実際的な人なら5分で終わるような話を1時間ぐらいしていたからみたいだ。
しかし誰それのおじさんの娘が、おじいちゃんの兄弟の・・・と言う話が延々続き、かならず所属会社が出てくるのだが、全部笑うような(もっと有り体に言うと製造業ではない)一流企業の(元)重役ばかりで、まあそれはそんなもんだろうと思うが、登場人物が全部ニックネームなのが困る。よほど楽しかったのだろうと思うし、じっさい、特権的な世界だったろうから、美化されているというよりは、ほんとうに一点の曇りもない憂いなき世界だったのだろうと思う。
だからそれはそっとしておいてあげたほうがいいと思うが、世知辛い世の中になると、そういう世界にも小賢しい人間がうろちょろするようで、そういうわけにもゆかないようだ。まあだまされる方がわるいのだが。しかし不愉快ではある。

実はつぶされてしまった元勤務校も、公立だし、女子職業教育を目的として設立されたからより質実剛健だったけれど、戦前からあるような学校だから昔の卒業生の人たちがやってくると、ああ、これは(俺とは)人種が違うわ、という感じがした。やっぱりエエトコの子のほうがガッツがあるように見えるのは、挫折がないか、あっても周囲から上手にフォローされるから、結果としてストレートに欲望を表現できるという面は否定しがたい(むろんこれは男女に限らず)。そこは貧乏人の上昇志向とは似て非なるものだ。(女子の場合)高等職業婦人志望だととくにそういう傾向は強く出るだろう。ときどき残酷だなあと思うこともあるが。鈍感と残酷は笑えるか笑えないかの違いで、つまりは受け手の側の問題でもあるので、ようするに嫉んでいるだけだという可能性も、はい、認めます。
いやそんな話ではなく、クラスというものがあった、正確に言えば残存していたということだ。おそらくまだ関東の方には残存しているのであろう。(と思うがよくわからない。)

敗戦直後の石炭の割り当て時代に、たしか聖心だったと思うが、なぜかそこだけ独立した単位で石炭が割り当てられていたそうだ。安定本部の担当セクションで働いていたひとの回想だったと思うが、そんなレベルのところに回ってくる書類だから、帝国大学という単位がみえていたかどうかすら怪しいが、まあ世の中は平等ではなかった。いやしかしこの文章で言いたいのはむしろ圧倒的に平等になったのだという話だった。

mayakovはそういう世界にはまらなかったのだが、ママはいまだにまだそういう世界にはまらないひとがいるということが理解できないから、何かのぐあいで、あんたも私の学校に行けばよかったのにとやってはmayakovを閉口させている。

mayakovがはまらなかったのは、すでにそういう世界が以前のようなかたちでは維持できなくなっていたからだろうし、そしていまやそれはかつてのようなかたちでは存在していないことはまあ確かだ。そのプロセスは、実を言うとすでにmayakovママの時代には始まっていたことは、経済史を眺めても、mayakovおばあちゃんと比べても、そう理解せざるをえない。だから違う道を選んだのはお互いにとってかえってよかったと思うのだけれど。