temjinusさんからのお題

id:temjinus:20060413

ところで日本の現代の読者にカトリック的教養を要求するのは無理なことなんだろうな、どうなんだろう。『ねずみ王様』、ちょっと教えてください。

いやそんなカトリック的教養などはぼくも持ってません。せめてBossuetとか読まないとなあと思うんですが、ツンドクばかりで、あんましちゃんと読んでなくて。数少ない知識はHotmanとかBezeとかジュネーヴに行っちゃう人だし。
学者がらみとなるとどうしてもプロテスタント系のほうが多くなるから、そっちは知らず知らずに目に入ったりはするんですが。哲学は宗教改革運動のさらなる世俗化といえなくもないという話もあるようなないような、というな、このへんちょっと怪しいのでごにょごにょさせてもらいますが、そういえば、PrincetonのJonathan I. IsraelのRadical enlightenmentの仏訳が出たそうですね。

近代日本のカトリシズムなどという本もあるのですが読んではいません。ごめんなさい。

そういうわけで(どういうわけで?)、「カトリック」ということに限らなければ、じんわりとキリスト教的な思考のパターンは浸透しているように思います。
たとえば靖国神社とか、愛国心への過度の執着、それから意外と根強い純潔教育(反性教育)などは、(ある種の人々にとってですが、)それらがもともとキリスト教由来のものだとはもう思えないところまで土着化したことを示していると思います。それにしてもなぜpatriotismeを護国心とか護国主義とかせずに、愛国心とやっちゃったのか、軽率だなあと思いますがしょうがなかったんでしょうね。love/amorって。ぱっと見、洋風中華弁当みたいな忠君愛国で変に思わなかったというのは、このあたりで儒教的な枠組みはもう解体されてしまっていたのでしょうね。

その多くは軽率に、なのでしょうが、しばしば自民党の議員などが統一教会プロパガンダにはまるのは、おなじ土着化したキリスト教道徳への親和性があるのかもしれませんね。とこれはからかい半分本気半分。
(「おらあパライソさいぐだ!」(c)諸星大二郎

しかしこれはもう無意識化していますから「教養」とはいえませんね。いずれにせよ、こういう思想の枠組みだけ見るとキリスト教右派道徳に近いように思いますし、どちらかというとカトリック的であるような気もしますが、よくわかりません。

あとチェスタートンといえば福田恆存ですね。ロレンスも彼ですね。これも黙示録ですから、やっぱちょっとRPR寄りなのでしょうが。(Religion pretendue Reformee)

それと前に少し話をしたC. Schmitってカトリックなんですよ。こういうところに話を広げるとアルチュセールという人をぼくはそれはもう一時期たいへん一生懸命に読みましたが。「党」ですよねえ。