今日は

会議の日。あさからあれやこれや。学科会議は相変わらず意味不明。ばかばかしいから本を読みながら、適当に茶々をいれる。この大学に着任して最初の仕事が、この学科で、新学部設置の事務書類作りだった。心ある人がエクセルで作れと言うのに、誰かが一太郎で罫線を引いてフォーマットを作ってしまったので、書式を書き換えるたびに罫線がむちゃくちゃになって、それを引き直すのが仕事だった。土・日も出てきてやっていたが、あんまり能率が悪いのに途中で切れてしまって、学生部長と理学部長に、あとはお前らがやっとけと言い捨てて帰ってしまったこともある。本人としては相当オブラートに包んだつもりだったが、あとで(そのときは元になっていたが)その理学部長に、確かに俺もあのときは、怒ってもしゃあないと思ったわと笑われた。
これで10年は安泰だというふれこみでやった新学部だったが、作って4年で廃校が決まった。そのころ先頭に立って櫓を担いでいた人は、合併話が出たとたん、例外なく右顧左眄し、信頼を失いいつしか学科の会議ではほとんど発言しなくなった。が、新大学が始まったら、どうやらまた、顔ぶれがかわって、お祭り気分になって、本校の会議では盛んに発言しているらしい。が、それと比例するように廃校になるこっちの会議にはとたんに出席しなくなった。まあ改革派なんていうのはそんなものだ。

今日の会議は今年度最後。卒業判定と退職者の挨拶。もともと教育大だから学部がひとつ(学芸学部)だったのを、二つに分けたわけだが、その一学部時代の最後の卒業生が卒業するらしい。ぼくが働き始めたときに存在していた組織はだから3月31日をもって正式に廃止されることになる。次に新組織が廃止されるときには、あとを引き継ぐ組織はもうない。
学部会議のあとで大学院の会議がある。ぼくは大学院を担当していないので会議室を出てゆく。大学院の会議が終わったら退職者の挨拶があるから、よければ残っていてくださいと司会者が変なこという。だったら順番を逆にしておけばいいのに頑として順番を変えない。どうも微妙にその辺を曖昧にしたいみたいだが、まあ曖昧にしたい理由もわからないでもないのは、別に必要でもないのに、そうしなければならないという思いこみで大学院担当だった人を、君は業績がないから担当しなくていいと肩をたたいてしまったからなのだが、まあこういうひとが成果主義が大事だという噂を聞くと、思いこみで勝手な解釈をやって、話をややこしくするのかもしれない。

いまや大学としての一体性は存在しない。司会をしているのはその組織を壊してしまった主犯格でもあるから、無意識のうちに目を背けようとしているのかもしれないが、そうだとすれば、それはしかし無理な話だろう。
しかし彼に限らず、右往左往したひとたちは、誰も彼も、新しい組織の混乱の中で、予算やぶんどったり、人事に手を出そうとしたり、組織を思うままにしようとしたり、外郭団体を作ったり、とてもいきいき右往左往している。にぎやかにお祭りしながら一生を終わるんだろうか。羨ましいようなないような。それにしても組織はまだ残っているのだが、メインテナンスにはほんとうに興味がなさそうだ。おもしろいなあ。

研究が大事だと演説する人に限って下手な政治に熱中する。不思議だ。まあ本当に大事なら演説してる暇があったら研究するか。研究から逃げる理由は本当に多い。ぼくもあまり忙しい忙しいと言わないほうがいいか。

フロイトの著作集の仏訳をちょうどこの辺にあったはずなのだがと棚を物色しているうちに、会議に戻るのが面倒くさくなって、ついついそのまま本を探し続けてしまう。理系の退職者のひとがどういう演説をするのか多少の興味はあったのだが、文系の退職者が去年と比べるとイマイチっぽいので、腰が重くなってしまった。数カ所に所蔵場所が分散していたので少し手間取ったが、結局、必要な部分はまだ刊行されていないことがわかる。
帰ってきたFさんにどうやったと聞くとまあもうひとつとだったようだ。退職者はいわゆる最終記念講義とかするといいと思うんだが、そういうアカデミックな風習はこの大学にはない。が、よく考えるとそのほうがいいかもしれないな。残酷なことになるかもしれないものな。

「みんなメディアに出たがるねえ」
「出るのは簡単やよ。言いたいことじゃなくて、他人の台本をちゃんとしゃべればいいわけやから」
「でもそこまで割り切った人は少ないよね。ひとはメディアで自分の意見を言いたいんだよねえ。きっと。それでなんか救われたいんやろねえ」
「そりゃしかし救われることはないわな。メディアに出て救われようとする時点でまちごうとるよ」
「まちごうとるなあ。わかっててまちがえるんかなあ。確かに間違えてばかりや。難儀やなあ」