グーグル

プリントが作業を再開したようだ。
http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000047715,20090183,00.htm
アマゾンやランダムハウスも事業化しているし、これ以上遅れるわけにはゆかないということだろう。ハーバードの図書館とか蔵書量がしゃれにならないわけだから、どこまでやるかは分からないけれど、基本的に全部やる気だとすると、これはとんでもないことになる。なんにせよぼくのような全部読む派はおそらく今以上に少数派になってゆくのだろう。

アマゾンの話はこれ。
http://hotwired.goo.ne.jp/news/business/story/20051104105.html
「図書館でコピーしていた読者を、便利なオンライン購入に導く可能性があるが、本を一冊丸ごと買う人が減ってしまうリスク」とあるが、こと対象を学生に限れば、現場の教師感覚からすると、売り上げ貢献のほうが多かろう。経済学の特徴の一つである非負条件というやつがここでも効いてくる。なんと言ってもゼロより下はないのだから増えるしかない。

フランスにいる頃、国立図書館の便利さに涙していたら(ただでさえ待遇面で不利(もっぱら時間ですが)なのに、インフラでも差をつけられてこれではますます追いつけない)、アメリカ人の友人が(シャンスポにいた彼は西海岸の大学に在籍していたが、どうも父親が大学教師でボストンに住んでいると言っていたから、あるいはハーバードの、ということかもしれない)、いやハーバードのほうが純粋な蔵書量ということでは多いのではないかとのことだった。たしかに古い文書はここにこないとないものはあるけれど、こと印刷され書物のかたちになったものなら、どうだろうか印象ではハーバードの図書館のほうが多いのではないか、サービスはむろんハーバードのほうが上だとそう言ったものだ。業界や時代によってそれぞれ差はあるのだろうが。

興に乗ってあれこれ大学事情を聞いたのだがそれはまた別の話。彼のいた西海岸の大学はそれはまあ比較的のんびりはしているんだろうが、日本の大学改革とやらがカタログだけみてそれを真似しようとしていることがわかってまあそれはよかったが。人事の話のある種のおもしろさは万国共通ということだろうか。それはともかく。

古いものから差別なくやってゆくなら、これほど学芸の進歩に貢献することはないだろう。原則的に言うならば。
ただやっかいなのは、その傾向はすでにでてはきているけれど、アメリカ以外の国の本まで厚くなってしまうことは確かで、結果としては、ますますとばし読み傾向が強まり、いよいよ本は全部読まなくてよいことになる。(まあ全部読まなくてもいい本も多いけれど、ねえ。)
それとEmpireの言語である英語は今以上に世界語としての地位を獲得してゆくことになるだろう。

まあ全部丁寧に読みたいというのが無理というか、駄目なんだけど。ほんとは。そのへんはまあ趣味を優先させているわけで、学者失格ではある。仕事なんだから本来。

契約して使用料払うと、全部閲覧とかさせてくれるサービスがあれば、速攻で申し込まざるを得ないなあ。

それと司書の位置づけや、図書館そのものの役割も、またいろいろ考えさせられるなあ。