ゼミをするために夏休み散らかり放題に散らかっていた研究室の掃除をしたら夏休みに読もうと思って図書館で借りたアーロン・グレーヴィチの『中世文化のカテゴリー』が出てきた。ああ、これ読まなきゃなあと思ってふと見ると大量にポスト・イットがはさんである。・・・・読んでる。けど、記憶がない。子供の頃から記憶力が悪く、記憶力が落ちた落ちたと不平をいう同世代を尻目に、最初から記憶力のない人間は全然平気だからねーとうそぶいていたのだが・・・。
読み進めてゆくとかすかに記憶が甦ってはきたが・・・。
たしかに読んだことそのものを忘れてしまえば、記憶の欠乏に苦しむこともないわけだ。
そうきたか。おれの脳みそ。
端倪すべからざる奴。

中世文化のカテゴリー (岩波モダンクラシックス)

中世文化のカテゴリー (岩波モダンクラシックス)


あんまりちゃんと読まなかったけど、いちおう読み終わったことにした本
色川大吉『廃墟に立つー昭和自分史(1945-1949)』小学館
色川大吉の本はむろん読んだことはあるが、買うのははじめて(古本でならあるいは買ったことがあるかもしれない)。いまやっている勉強のためにこういう回想録をなるべく読むようにしている。エリート臭が鼻につくせいで、このひとの書いたものは好きではない。が、この本はわりあい面白く読んだ。面白く、というのも微妙でいつも感じる微妙な距離を感じながらの読書ではあったのだが、こういう人が一年間とはいえ、革命を目指したのかどうか、すくなくとも社会改良を志して田舎の小学校に行って、一教師になろうとした戦後の一時期を興味深く読んだ、というべきだろう。
色川大吉というと、プロレスラーの長州力の、専修大学レスリング部時代の先輩というだけで雑誌に自らを売り込んで、いつの間にか国会議員にまでなってしまった松波健四郎という、(これもまた長州をまねしたのだろう)長髪のへんな田舎(泉州)のボンがいたが、彼が昔どこか(たぶん週プロ)で青春の一冊として、「立場の違いはあるが」との但し書きを付けて、色川大吉の本を挙げていたのをぼんやりと憶えている。(ボンや嬢の好きな作家というのはあるものだ。)むろん彼の精神史、民衆史や自分史関係のものではなく、世界放浪記に強烈に魅惑された、ということなのだが。たしかシルクロード、とりわけアフガニスタンの地に惹きつけられたのではなかったか。松波健四郎はそれに煽られてじっさいにアフガニスタンにまで行ってしまったらしく、たしかバーミアンの遺跡が破壊されそうになっていたとき、おれはあの国にコネがあるんだとやはりテレビでほ吠えていたのを思い出す。

この本を買ってしまったのは、物書きとしてではない、この色川という人物への興味をどこかでもっていたからかもしれない。
廃墟に立つ 昭和自分史(一九四五‐四九年)

廃墟に立つ 昭和自分史(一九四五‐四九年)

そして青年松波健四郎が感動したのはおそらくこの本