les anormaux は、

やっぱ全部終わらず、半分くらい終わったところで、学生全員疲労困憊の体。すまん。
が、Foucaultを読むのは、その論理が飛躍している部分すらも、好ましい。いやむしろそのようなところに、性急に対象に迫ろうとしているなにか強引な力があって、学生になるべくコンシステントにその主張を提示するために、その空白を埋め、ズレの部分がどのように異なる問題に移行するのか、とっさに頭を絞りながら説明することが楽しい。疎外論にいまだ惹きつけられている、その構図の中にあって、前にぐいぐい進もうとする思考の力が好ましい。説明を繰り返しながら、多面化されるその思考の広がりもまた彼にふさわしい。こうしたことのすべてが講義ならではの隙だったとしても、むしろゆえにこそその多産な思考の力が読むことの喜びになる。

というわけで説明すればするほどテンションは上がり、学生諸君は大迷惑だったかもしれないのだった。

ひさしぶりに読むといいなあ。ずっとこういう頭の力が強い奴のテキストだけ読んでいたいが、それでは仕事になんねえ。