同じ独裁でも

小泉政権ポピュリズム(大統領)になぞらえるという方向とは別に、ジャコバンと比較するという線もある。
どちらかというとぼくは後者のほうを考えていた。あまり感心はしないのだが、蓮見が『帝国の陰謀』(だったかな?)で書いたみたいに、前者には悪人がいて、裏でいろいろ操っている、というようなシナリオが割合ぴったりはまったりする。本当かどうかはともかく。その登場人物たちは悪人だからどこか人間的で、つまり私利私欲というものを肯定しているような印象がある。だからかどうか、こっちは使えるものは何でも使うので案外中間集団は強かったりする印象がある。
で、後者の登場人物はむしろ善人に割り振られるような人たちでよりユートピア色が強く、より純粋志向で、中間集団を廃絶して透明な社会を夢見る。ブレーキが効かないという場合に考えているのはこっちで、悪人たちの計算を超えていってしまうところがある。まあ悪人といっても所詮個体なので、個体にできる悪事は多寡がしれているところがある。善人というのはつまり天使に近いわけで、つまり個体ではもうないのだ。
どうも日本人は伝統的にジャコバンが好きなので(左右を問わず)、景気がいいうちはいいのだけれど(所詮日常生活にしめる政治の割合は低い)、この危うさはつねに存在していると考えた方がいいのではないかと思っている。
だから前者と後者の分水嶺はみもふたもなくいうとおそらくは経済(政策)だろう。つまりどうしても人知の及ばないファクターが含まれている。