drive our ship to new lands

今日SOP退院。全員疲労困憊。紀州を堪能。

きのう、授業を終えて電車に飛び乗り、きわどい乗り換えをクリアーして、汽車をつかまえる。電車も遅れたが、乗り換えの汽車も遅れたので助かる。ビールを飲みながらカッシーラーを読む(第一章だけ)。ああおっさんは頭がいいなあ。ちょっと分けてくれ。

けれど窓の外には光がない。

むかし父親にせがんで連れて行ってもらった遊園地(片道4〜5時間)の帰り、田舎に近づくに連れて黒い山が迫ってくる。街灯の灯は都会とは比べものにならないぐらい少ない。道を照らすのは車のヘッドライトだけ(そうだ。マツダのサバンナだった)。もう家に帰りたい。はやく。なぜだかツェッペリンの音楽がかかり(AMラジオだったのか、カセットテープだったのか)父親はこれはビートルズと同じくらい偉いバンドだと言った。寂しく泣きたい気持ちを堪えながら、意味もわからずに感心し、ツェッペリンは偉いということだけが記憶に残る。

ツェッペリンを聴くと今でももの悲しい気持ちになる。

その後音楽を聴く習慣を失う。しかしブルーザー・ブロディの入場の時には、移民の歌が鳴り響いた。そのたびにどこかで聴いた音楽のような気がした。

そのブロディも死んだ。メキシコで腹部を刃物で刺されたらしい。

夜遅く紀州到着。

病院に直行したがSOPはもう寝ていた。mayakovも寝るというので家に帰る。SOPはずっと寝ていた。(ところで紀州の病院は事実上24時間いつでも面会が可能なような気がしたのだが……。)

mayakovはParisにいるときよりも言葉が通じないと言った。いや比喩ではなく。単に聞き取れない言葉、聞き取れても意味のわからない言葉が多かったようだ。

入院したとき買った40枚入りのパンパースはもうなくなっていて新しい60枚入りのパンパースが置いてあった。

病院から夜道を歩いて家に帰る。空き地が増え、人が減った。

家を後にしてもう20年がすぎたのだ。

疲労困憊の母。祖母の調子もよくないらしい。

家にはなぜかBBCの二枚組のアルバムがあった。ケー・ウンスクもあったし朝丘雪路もあった。

あなたの燃える手で 私を抱きしめて

mayakovの友人のA子ちゃんは友人の結婚式の余興で、ウケねらいで愛の賛歌を熱唱したが、誰も笑わず、普通に受容されてしまい、仕方なく最後まで朗々と歌いあげてぱらぱらとした拍手を受けつつ座らざるをえなかった。

J'irais jusqu'au bout du monde.
Je renierais ma patrie.

宵っ張りのmayakovも倒れるように寝入った。

人間は生物なのでおのずと限界というものがありますな。

カッシーラーを読まないとな。

もうだめ。

帰るよ。