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幻想の性 衰弱する身体―性医学の呪縛を超えるには

幻想の性 衰弱する身体―性医学の呪縛を超えるには

京都の口さがない童のあいだでは、「サイトウさんは、書いたものより本人のほうが100倍面白いよねー」と語られていたという。しかし語り口調で書かれたこの本と比べれば50倍ぐらいにはなってる(当社比)。
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サイトーさんはおもしろい。大学人としてはかなりテレビ出演が多いが、いまいちメディア有名人にならない。ぜんじろうの番組にも出た(それもまた微妙だが)。テレビで素でいることができる逸材だ。ぜんじろうがいじりたそうにしてたが、引き出しが少ない芸人だったから手をこまねいていたのを覚えている。BS漫画夜話の司会にも抜擢された。だが、いしかわじゅんの逆鱗に触れて下ろされてたりする。
想像するに、ふたつくらい原因が考えられる。ひとつはサイトーさんはまんが玄人ではない。まんがの文法というか、まんがのまんがによるまんがのための価値観からまんがを読んでいるわけではたぶんなくて、別の物差しで読んでいるということがひとつ(それはこの本の中でも多少出ている。『ヘルター・スケルター』についてとか。)。がそれは普通のことであって、まんいちそれが口実になったにせよ、じつはあの番組のレギュラーでいしかわじゅん以外にまんが玄人がいるとも思えない。岡田なんとかでも、物差しはアニメとか「おたく的なもの」ではあっても、まんがそのものではない。だからそれだけが原因だとも思えない。テレビ向きじゃないもうひとつの理由、というかむしろそれは美点なのだが、空気を読ま(め?)ない。つまり権威をあんまり尊重し(でき?)ないので、玄人の価値観にもその場の空気にも合わせ(られ?)ない。たぶんテレビのひとになるにはその辺が察知できないとまずいのだろう。(出演者と送り手以外どうでもいいことなのだけれど。)が、サイトーさんはそういうところはない。だから党派主義的なところもたぶんない。鶴見俊輔と仲良しだが、あのひとのそういう悪いところは受け継いでいない。

ともあれ、そういうわけでテレビの人にならずに済んだ。というか取られなくてよかったと思う。(こうしてちゃんと仕事もできてるわけだし。)

サイトーさんは東大の科学史で、あそこは男根主義的というか、体育会系ガンバリズムとやたらと厳しいナワバリズムというイメージがある。いやほとんど根拠のない思い込みですが(そのイメージは約一名が作っているという説もあるが)。どうですかナカムラくん
読めばわかるけど、あんましそういうマッチョなところはない。そういえば業績一覧を増やすのが趣味で大昔のワープロにしこしこ入力してたけど、いわゆる業績主義とは微妙に違って、テレビ出演なんかをいちいち入れてたりしてた。教育テレビとかじゃなくて、ぜんじろうの番組とかだから、たぶんマイナスだとおもうのだけれど。なんかあんまし区別してない感じだった。たぶん権威主義がないのだろうが、そもそも権威を察知する能力を欠いているのかもしれない。まあ空気を読ま(め?)ない、ということはそういうことでもある。

しかし科学史はガンバリズムで文献主義の実証主義のところなので、よくよく話を聞いているとやたらとよく調べている。この本を読んでいてもその辺の片鱗はでてくる。むかし一回だけひやかしに授業に出たことがあるが、まあよく調べていて感心した。鴨川のカップルが本当に等間隔かどうかも実証した(ちなみに、等間隔ではない。たぶんこの話は聞いたことがある人は多いだろうが、これを調べたのがサイトーさんだ)。カップルの腕の組み方、手のつなぎ方の分類も完成した。こういうことをするとき、サイトーさんは生真面目にやる。井上章一風のちょっとシニスムの混じったあえてする生真面目ではなくて、素で真面目に調査する。
もとが理系だから図式ダーイ好きで、研究会なんかでは、発表者の発表に図式が無いと憤然と徹底攻撃するのだが、実証主義があるから、よくある単純化を免れている。昨日書いた、悪い意味でのソシオロゴス風というか、性といえばフーコーが『性の歴史』で、というようないつまで80年代続いてるんですか!というこの前後の世代特有の悪癖もない。たぶんルサンチマンがあんましないんだろう。だから「せー」といえば「ふーこー」といく前に、まず『ちびっ子猛語録』(これはおれも子供のときに読んだ。なんか刷り込まれたのか?)であり、奈良林洋『How to Sex』であり、『キンゼイ報告』である。地肩が強いから直球だ(へなちょこカーブ投げても、相手が広島の前田なら「情けなくって振る気にもなれん」って言われるしね。)。

(おっと中身についても書かねば。でももう眠いので今日は終わり。)

けどまだ生サイトーにはおよばないなあ。