昨日は

ひさしぶりに京都。なぜかムナゲマン、「ドラッグ・カルチャー」について発表。ムナゲマンが?と思ったら、事実上、カルチャーぬきのドラッグについての発表だった。六角形の模式図(ベンゼン環いうんか?)をえんえん見せられたりして、たしかに不真面目なものほどまじめにやるべきなのではあるが、それにしたって程度というものがあるだろう。

ムナゲマンは頭がまた後退していた。ロザンヴァロンの本はもう校正まで行ってるらしい。学生の分も四冊くれ、といったらそれは勘弁してくれと言われた。ケチなやつだ。終わってから、鴨王子を交えて組合談義。

個人的な関心との関連で、面白いことも多かった。ユンギアンというのはやはり「ある種の」生物学主義といっていいのか、それに非常に近いところにいるということを再確認。「自然」にとどまるのか、そこからバイオロジーまで突き抜けてしまうか、という点で違いはあるのだが。ただ、向いている方向が同じであるというか、実は「反」文化主義という点では共有するものも多い。New Agerたちが、みずからをScienceと称したがる点にもそれはたぶん反映しているのだろうが、さてしかし、そうであるとして科学の普遍性に突き抜けるか、文化の個別性にとどまるかという選択が問題とされているのか、あるいはまだ「自然」の概念めぐる議論が、闘争の舞台となっており、その限りでイデオロギー的な水準での問題がまだいまだに問われていると考えるべきか。

しかし科学という運動の全体としての普遍性というのは、個々の科学実践のものすごい個別性とセットでないとまずい、わけだが、その辺が違うのだ、ということにしておこうか。

家に戻ったらきしさいとう夫妻が陣中見舞い。小学館の小学六年生をプレゼントにくれた。ありがとう。
SOP太は肉まん顔をして喜んでいた。目がギューっと細くなるほど喜ぶのが肉まん顔。きしどんは季節感に挑戦するように、風呂に入ったあとで寝っ転がって団扇で扇いでいた。肉まん友達?。さいとうさんとmayakovは「革命的お針子集団針の筵」を結成したはずなのだがあれはどうなっているのだろう。あれ、そういえばさいとうさんは夕べはドカジャンは着ていなかったんじゃないだろうか。

忘れていた。きしどんのバンド名が決定したんだった。「第二次岸内閣」

しかしよーく反省してみるとフロイト自身、思想史的にはダーヴィンーフロイトという系譜を考えることもできるわけで、精神分析そのものがやっぱりある種の生物学主義的要素を色濃くもっているとかんがえるべきなんだな。

ああそうか、やっぱフーコーはなめたらあかんな。