は水曜。

今日はゼミ。ロザンヴァロン。がんばって読んできていた。まあ英語のテクストも、やらせればやれるものと学習。休み明けなので延長せずに終わる。
終わってから図書館で本を受け取る。頭を切り替えるために、雑誌のコーナーで少し立ち読み。新潮の1月号をぱらぱら見る。蓮實重彦デリダ追悼(?)文を書いていて、なんだかすごく悔しそうなのに思わず笑ってしまう。
なるほど老いるということは先立たれる、ということでもあるのだなと思う。前後して掲載されている富岡多恵子の同様のエッセイを読み、期して並べたのか、期せずしてなのか。前者だとして、悪意あってのことなのか。

あとサイードと大江と水村美苗が書いていたのを読んだ。老いるということ、あるいは成熟ということ。時間の問題。前回書いた富岡多恵子の考えているようなことと、重なり合ってくる。
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書物が届く。インターネット買うと、中身が確認できないので注文のさいに思っていたものと違う本が届く場合がある。やや危惧していたのだが、今回はましだった。

が、相互利用で借りたMincerの本を先に読まないといけないのだが、経済学は身も蓋もないなあ。
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論座」で久しぶりに田中美津の名前を見て、ぱらぱら。変な本が出てるんだなあとちょっとびっくり。正月に手にとった本が、富岡多恵子の本でよかった。南大阪には、しかしきっとこの「オニババがどうとやら」という本がならんでいるんだろうなあ。しかし痛々しそうな本だなあ。この国で老いるということはかくも困難なのか、とふと思いかけるが、そのまえに偶然に読んだ「新潮」の、老い(成熟?)をめぐる特集を思い浮かべ、いややはり個体差なのだと思い直す。

老いて教養を欠いているとほんとうに残酷なことになる。かわいそうだが、しょうがない。

まあ女がらみの(男相手の)商売で思い出しついで書くと、出版業界が閉じてしまっているのでは、というのは前から気にはなっていて、もちろん数字の上でも市場が狭くなっているはずだから、貧すれば鈍するのは仕方ないとしても、その打開のつもりでやってるには違いないのだろうが、おっさんの若い女プロデュースという小室病はいまごろそれか感強し。
あれは昔からアカデミーの世界にある病の一種だが、大学業界の中でも、この病は、比較的封建的な業界にしばしば見られた病で(いまはその業界でも減っているように思う)、よく言えば生産者と消費者の顔が見えていて、わるくいうと市場が縮小傾向にあったが、まだ本格的には過酷な競争にはなっていなかった世界で、つまり短期的にはあれやこれやの市場支配がまだ可能な業界にしばしば観察された現象ではないかという印象があって(統計取ってるわけでないのであくまで印象)、ようは中間誌とは無縁のところで発生しているはずの生態だったのだが、なんかいよいよそれが資本主義的論理が(相対的にであれ)より多く支配していたはずの領域をも覆いつつあるのかなと思う。結局、縮小再生産になるんだよな。(その辺、さすがに大塚英志は商売人だな、と思う。)

直接に関係あるわけではないけど、無関係でもないのは、たとえばジジェクって面白いのだけれど、だからといって、あんなに訳す必要もないのに。極端に言うと、なに読んでもいっしょなんだから。タバコみたいなもんで、考えるためじゃなくて期待が裏切られないことを確認してるだけじゃないのか。なんか結果としてはむかしのユーロ・ビートやちょっと前のエイヴェックス(おなじか)みたいなことになってやしないか。劣化コピーにいたっては何をかはイワンの馬鹿。まあそれでも音楽や洋服ほど市場が広ければ、俗に言うゼロックス・マシーン的な商売もありだろうけど、もともとの市場が狭いのに大丈夫なんかなと思う。音楽業界でもすらやばそうなのに。

新潮の特集はそういう意味では馬鹿みたいに反動的で面白かった。長期的に見ると正しい戦略であるはずなのだけれど、人間は集団になると迂闊だからなあ。

でもまああざとい商売はむかしからあったか。昔はよかった式かな。こりゃ。
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ついでに思い出したのは、まえにパリにいたとき、近所の仲良くなったかばん屋さんが出店するというので、そういう場所だとは知らずに業者向けの見本市に紛れ込んでしまったことがあった。見本市といっても誰でもしっているような店はほとんどなくて、これから大きくなっていこうとしているデザイナーなんかが主に出店していた。かばん屋さんも東京の伊勢丹にちょこっと卸したと嬉しそうに言うようなそういうクラスのかばん屋さんだった。ちょっと高めの値段設定がよくなくて、あんまり売れなかったみたいだったけど。(そのかばん屋さんはぼくらが日本に帰る直前にアトリエ・ショップだったその店を閉めてしまった。)
ともあれそういう場所では、日本人は日本人というだけで下にも置かぬおもてなしになる。イタリアから自動車を自分で運転してきたという30代のアクセのデザイナーのおねえちゃんと話をしたんだけど、やっぱり僕たち(mayakovと一緒に行ったのだった)を業者の人と誤解していたみたいで、なんというか、卑屈とまではいわないけれど、どこかおもねるような視線と口調がまるで日本にいるみたいだったのをいまでも覚えている。とうぜん日本人のバイヤーだらけなのだけれど、中年の小太り茶髪おじさんと若い女の子という組み合わせばかりで、あまりのステレオタイプにただただうんざりだった。へたをするとmayakovがそのときにいた最年長日本人女性だったかも。
なんというかひどく不健康な感じだった。