昨日学校に

行って、年末からあえて放置していたメールボックスを開ける。フィルターをくぐりぬけた意外にたくさんのジャンク・メールと(どうもMail@OSXよりもThunderbirdのほうが優秀みたいだ)さらに多くの読みたくないお仕事メール。できればこっちもフィルターかけといてほしかった。
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正月は結局(一週間ぐらいかけて!)本を一冊読んだだけだった(それでも時間がなくて全部読みきれなかったけど)。気楽に読めて暇つぶしにいいかな、と思った福田和也は前に書いたように空振りだったけど(というか全部読む前にそぷ太に破壊された)意外に時間がないと読めないだろうと思って敬遠していた富岡多恵子西鶴の感情講談社を読むことに。ああ読書したよ。時間がなくてもいい本を読めばいいんだよな。そういう意味では日本語はありがたい。

西鶴の感情

西鶴の感情

いろいろ引用したいのだけれど、時間がないのでそれはまた今度。富岡多恵子は『釋迢空ノート』を読んで以来のファンだ。
釋迢空ノート

釋迢空ノート

この『西鶴の感情』も半分とは言わないけれど、かなり部分を引用が占めていることからわかるように、テクストをちゃんと「読む」ことから出発した散文作品だ(前作同様に「評論」といってしまってもいいようなものだけれど)。数日間にわたって数ページづつ読み進めていくあいだ、いろいろ考えることが多かった。ただテクストが読めない(読まなくてもいいと誤解している)研究者の顔が浮かんでちょっと憂鬱な気分に。たしかに誰もが野間こうしんになれるわけではないのだけれど。
まあせいぜい利用してもらえるような(水準の)ものを書くことにしましょう。
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大量にあったジャンクメールの中に、ベーコン好きの親切な人から、育て直しの映像の贈り物があった。ありがとー。き*どん。

ちなみに中身は「オシメしてー」「ハイハイ」というようなものなのだが、NHKは何を考えていたんでしょうね。オムツ・プレーって言われても反論しにくいよな。王様は裸だっていうひとが誰もいなかったんだろうな。
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そぷ太を病院で診てもらったあとで、寄った古本屋で、たまたま岩月謙司の『女は男のどこを見ているか』が叩き売られていたので購入。読んでみると案外これが生物学主義。プロフィールみると専攻が動物行動性理学とか、人間行動学(正確には、と称している)だから、まあ意外でもないのかもしれない。
地雷はあちこちに潜んでいる。くわばらくわばら。
あと中身は教養が激しく不足しているので、わかりやすくあらがでているけど、基本的には大学で教えているおっさんの若い女への説教ものとしては典型的なもの。前にも書いたが女子大に長くいると、かなりの確率でこうなる。教養や性格、政治的立場によっていくらかバリエーションはあるが、基本的には同じ。このひとは女子大じゃないけど、臨床系は女子学生が多いからこうなったのかと邪推。

なんだろう。たしかに男女バランスが崩れると、王様は裸だって気がつきにくくなるんだろうな。

ねずみはいつも裸だけどね。

いずれにせよ、おんなじようなこと言ってないかどうか読んで確認したほうがいいよ。みんな。(みんなってだれ?)
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こういう単純な生物学主義のひとのつまらない本と比較してはだめなのだけれど、富岡多恵子の指摘(遊女は家族というものを形成しない「女」であり、しかも(江戸期の)廓は恋愛なき性交の場所であるにもかかわらず、それがある種の文化(作品?芸?芸術?)にまで洗練されている)は、考えるところ多し。そしてその事実というか、それに溺れる男たち描くことで、そうした世界をを突き放してしかしある共感を持って書く西鶴への彼女の共感は、それもまたフェミニズムであるように思う。

退屈な自然と不毛な文化? 選んだわけでなく後者の側に立つことになった者への共感?

非日常礼賛と誤解してはいけない。
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だからそういうことが重要なのであって、社会的に構築されたものとかそうでないとかは、擬似哲学論争に過ぎない。まあぼくは『表現と介入』のハッキングの穏当な「実在論」に一票入れてしまうたちのひとなのでフェアな評価ではないかもしれないが。(『表現と介入―ボルヘス的幻想と新ベーコン主義』近ごろのアレは、このときの議論とどこが変っているんだろう?)あれはしかしもとが哲学ネタなのだから、妙に抽象的な理論(というか世界観というべきかもしれんが)にしてもいいことは一個もないと思うが。下手をすると通俗新カント派という最低の哲学になるんじゃないか。形式〜構造、というマッハ的な枠組みとイデオロギー論をどこかでまぜこぜにして誤解したのかもしれん。
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とかなんとかいいながら、僕自身、子供をもってしまってはいるのだけれど。
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結局後期のカントの授業はこの問題にひっかかってしまったので、どうしてもそういうところが気になる。
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考えてみれば前二作はゲイ(折口信夫)とロリータ(ペド?中勘助)だ。
中勘助の恋 (平凡社ライブラリー)

中勘助の恋 (平凡社ライブラリー)

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ああ、そうか、『ひべるにあ島』を読み直してみよう。
ひべるにあ島紀行 (講談社文芸文庫)

ひべるにあ島紀行 (講談社文芸文庫)